オカリナがくれた、数々のエピソード


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オカリナがくれた、数々のエピソード

小学生の時に父にオカリナを買ってもらって以来、オカリナはいつも友達でした。

心が疲れた時にも嬉しい時にも、気ままにオカリナを吹いてきました。

 

オカリナと付き合って約40年になりますが、

オカリナには不思議な力があると思っています。

 

言葉がうまく話せなくても、

人と人が仲良くなれる何かがあるような気がします。

オカリナを吹いていると、

オカリナに「いいんだよ」と

言ってもらっているような気持ちになれます。

 

中高生の頃、ボランティア活動で、

敬老の日やクリスマス前後に、

みんなで歌を歌いに老人ホームをよく訪問していましたが、

オカリナ演奏もいたしますと、

みなさん喜んでくださいました。

 

オカリナが友情を結んでくれたエピソードのなかでも

忘れられない思い出があります。

 

それは、私が学生のころ、

練習航海でアレキサンドリアに入港したときの話です。

上陸後、私は現地のシスターに案内してもらって、

コプト教徒(キリスト教のなかのコプト正教)の住む地区を訪ねました。

ここで見たこと、体験したことがいまだに忘れられません。

 

当時エジプト社会でコプト教徒は少数宗派で、

貧しい暮らしをしており、

訪れたところはスラム街と呼ばれるところでした。

 

4畳ほどの小さな部屋に子どもたちを含む8人ほどが暮らしており、

雑然としたところでした。

狭い空間に大勢の家族、そしてイヌとネコとニワトリが

仲良く明るく暮らしていました。

日本では考えられない生活空間です。

言葉も通じなかったのですが、

子どもたちが部屋の上を指差しましたら、

その一角だけ美しく飾られ、

そこにはイエスキリストの額が掛けられていました。

みんなは手を合わせました。

私も一緒に手を合せました。

 

とにかく言葉が通じないのでどうしたらいいか分からず、

私はポケットからオカリナを取り出して、

日本のうたといえば…と思い「ふるさと」を吹きました。

 

そうしたら、子どもたちは歌を歌ってくれました。

言葉も全くわからない歌でしたが、

みんな目がきらきら輝き、

はつらつと歌っていました。

 

あとから、案内してくれたシスターから聞きましたが、

歌の内容は

「イエス様がいるから何も怖くない、

イエス様がいるからどんな時でも勇気が持てる」

という内容でした。

 

私もお返しに、

オカリナで「ごらんよ空の鳥」などの

フォークソングのゴスペルを何曲か吹き、

音楽で交流しました。

 

音楽はいいですね。

言葉などいりません。

音楽と笑顔と手拍子で、

お互いにうれしい気持ちになれました。

 

みんなで写真を撮ろうと思ってカメラを出したら、

みんな珍しそうに見ていました。

 

ここにはカメラはなく、

見たこともなかったそうです。

 

帰ったら写真を送るからと約束しました。

 

この体験を通じ、

私は見たこともないものを見た気になりました。

こんなに貧しくて、

「つらそうだ」と私が感じる住居街で、

みんなは「つらそう」に見えない。

 

光っている何かがありました。

 

私にもないし、日本ではなかなか出合えなかった何かが。

心が明るく豊かなのです。

みんな、生きていることに誇りを持っています。

ほんとうに

「生きるってことは、愛だよ。」というのは

まさにあの光景でした。

 

私は、もし家庭を持つならばこんな家庭を持ちたい、

持ち物がたとえ貧しくても

こんな心に富んだ家庭を持ちたいと強く思いました。

あれから何年たったでしょうか。

あの時見たものを、今も忘れられません。

 

オカリナが運んでくれたいろいろな友情、

いろいろな交流は

数知れません。

 

でもこれは

オカリナだけのことではないと思います。

 

私は、オカリナが好きだったから、オカリナが大活躍してくれました。

 

ギターが好きな人、

歌が好きな人

音楽でなくてもいい。

野球が好きな人

料理が好きな人、

 

なんでも

好きなことを好きなようにやる中で

国境も言葉も超えた何かが通じるはずです。

 

夢と自由へのバリアフリーロードのヒントが

そんなことの中にあるのかもしれませんね。


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