「それでも、生きなさい。」


「それでも、生きなさい。

病気になったら、チャンスと思いなさい。

どんな状況の中でも、自分に何ができるか考えなさい」

剣道

触れ合う剣先と剣先。

 

私はがんじがらめにされた。

出ばな面の飛び技と、急潜行での抜き銅を得意技としていた20代の私を

師はがんじがらめにした。

 

剣道の恩師 土田国保先生に稽古をつけていただいた、

20代のころのことを思い出します。

土田先生

 

土田先生は生前の訓話で、

「それでも、生きなさい。

病気になったら、チャンスと思いなさい。

どんな状況の中でも、自分に何ができるか考えなさい」

 

と諭してくださいました。

 

土田先生は

もう生きられない、それでも生きる

という状況を少なくとも3度、通ってこられました。

そのお話をさせてください。

 

戦艦武蔵でのできごと

 

一つは、戦艦武蔵が沈没した時です。

師は、海軍主計大尉(つまり、経理補給担当の将校)として戦艦武蔵に乗り組んでおられました。

大和に次ぐ巨大戦艦。この武蔵が米軍の攻撃を受け沈没しました。

沈没の時、将兵は限られた救命胴衣を着て船外に避難しますが

土田大尉には救命胴衣がありませんでした。

お国のために、ここで命をささげようと思った時です。

 

武蔵沈没

 

一人の下士官が、土田大尉に自分の救命胴衣を譲りました。

戦艦武蔵には、ものすごい人数の乗員がおり、その下士官がだれなのか面識がありませんでした。

沈みゆく武蔵の甲板で、下士官は土田大尉の手を握り、こう言ったそうです。

 

「生きてください。あなたには使命がある。これをお守りに。

私のことは心配なく。私も生き抜きます。」

渡されたお守りは、十字架のついた数珠のようなもので、「ロザリオ」と呼ばれるものでした。

その下士官はクリスチャンだと分かったそうです。

土田先生は、初対面の下士官から譲られた救命胴衣を着て、ロザリオを大切に持って

命助かったそうです。

そのときこう強く思ったと話されました。

「この命は私一人のものではない

どんなことがあってもこの命を大切にしなければならない」と。

 

終戦の日に

 

もう一つのお話は、71年前の今日のことです。

武蔵から生還した土田大尉は、海軍の司令部で経理や後方の事務処理を担当していたそうです。

ラジオ放送が鳴りました。

「たえ難きをたえ、忍び難きをしのび・・・」

昭和天皇陛下の敗戦を決意し受け入れる放送でした。

戦争は敗北で終わりました。

 

終戦

 

このとき、何人もの将校が、司令部から中庭に出て、自決(つまり、自ら命を絶つ)されたそうです。

中庭では、「天皇陛下万歳」の叫びとともに何発もの銃声が響いていました。

 

天皇陛下のために何の役にも立てなかった。この命は死してお詫びするほかはない。

土田大尉も、自決しようと中庭に出ました。

しかし、誰かがこう言ったそうです。

「戦争に負けたからこそ、やることが多くある」

 

はっとした土田先生は、「私は何をしようとしてるんだ!」と我に返ったそうです。

 

戦争に負けたのち、戦後処理という膨大な作業があります。

いくら負けたからといっても、戦死した人の家族の生活をはじめ、

日本の国のこれからをどう守っていくのか

これは、戦死せずに今生きている土田先生たちのするべきことです。

占領軍が何をするかわかりませんが、

占領者のなすがままにされてはならない。

 

土田大尉は、司令部に残っている膨大な文書や事務書類を整理しました。

こうして、いつどこでだれが戦い、戦死し、家族はどうなっているのかなど

膨大なデータがうやむやにならないように、守りました。

 

自決なんかしたら、このことはできません。

生きているからできることだ。

 

最愛の人を奪われても

 

そしてもう一つは

警視総監になられてからのこと。

このことについて、土田先生は何も語りません。

しかし、この壮絶な経験をされても、私たちに剣道のけいこをつけてくださる

そのお姿から強く拝察されました。

 

それは

自宅に小包が配達されたときのことでした。

小包を開けた奥様が、爆発によりバラバラになって亡くなったのです。

小包に爆弾を仕掛けるという卑怯な手口で、過激な組織による犯行でした。

 

きっと

もうこれ以上生きられないと思われたに違いありません。

 

自分が生死の境にあったこれまでとは違い

最も愛する家族を、

残酷な形で奪われた気持ち、想像を絶すると思います。

 

しかし、土田先生は

復讐の鬼にならず、

自分の人生を捨てず、

 

その後何年もたって

私たちに剣の道を教えてくださいました。

 

だから

「真の武人は、真の紳士だよ」と言われる土田先生の言葉

心にずっしり響きました。

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そう。

 

どんなにつらい状況に陥っても、

最愛の人を亡くしたとしても、

このいのち

生きて

生きて

生き抜く。

 

それも、

紳士として、自分のなすべきことをなす。

 

土田先生が生涯をかけて教えてくださったことです。

 

71年目の終戦記念日にあたって、拙稿を書かせていただきました。

O HOLY NIGHT!新年に船をすすめよ。なすべきことは、魂が知っている


なすべきことは、魂が知っています。

「帆を広げなさい。魂からの風を受けなさい。一切をその風に任せつつ、あなたの舵とあなたのエンジンで船をすすめなさい。」

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新年にあたり、希望を新たにしようと思って

クリスマスに吹いた私のオカリナ演奏

「さやかに星はきらめき」(O HOLY NIGHT)の

Youtube動画を見ていました。

 

しかし、

 

去年1年を振り返ると、

 

カッコよくないことばかり浮かんできて、

 

つい落ち込んでしまいました。

 

「私は何をしてもうまく行かなかった。

 

よかれとして行ったことは

ことごとく裏目に出た。

 

もう

私は、何をしたらいいのか、

どうやって生きて行ったらいいのか

わからなくなってしまった。」

 

私は、「O HOLY NIGHTをヘッドホンで聞きながら

 

頭を項垂れていました。

 

 

 

 

そのときです。

 

心の中に、ユリともバラとも言いようのない

 

ものすごくきれいで光った花がイメージで浮かんで

 

 

こんな言葉が心に直接やってきたのです。

 

(耳で聞いたのではありません。

 

表現しにくいのですが

 

すべてのことばの内容は

 

一瞬にイメージで入ってきました。)

 

この雰囲気は、間違いない。

 

O HOLY NIGHTの主役

 

聖母マリアからのものだと、直感で感じました。

 

 

 

 

「この人生で 何をすべきか

 

それは、

 

あなたの魂が知っています。

 

 

 

これをなすべきだと頭でわかったと思っても

 

心でわかったと思っても、

 

 

もしかしたら

 

 

それは、魂に向かう旅路の途中のことなのかもしれません。

 

 

 

 

なすべきことはこれだと思っても、

 

変わっていくこともあるでしょう。

 

 

 

 

あなた自身が

 

刻一刻と歩いて変わっていくように

 

 

 

それは

 

変わっていくかもしれません。

 

 

 

 

でも

 

 

自分で選んで

 

自分で引き受けたことに

 

 

何一つ無駄はありません。

 

 

 

 

どんな道を通っても

 

 

どんな乗り物で通っても

 

 

 

あなたの旅路は、

 

 

魂に向かっていくのです。

 

 

 

 

ぜったいに変わらない帆風を

 

その帆にうけて進んでいく船のように。

 

 

 

 

 

帆を広げなさい。

 

魂からの風を受けなさい。

 

一切をその風に任せつつ、

 

あなたの舵とあなたのエンジンで

 

船をすすめなさい。

 

 

 

あなたのなかに

 

どんな時も変わらずに輝いている

 

あなた自身のたましいに向かって

 

いのちの船をすすめるのです。

 

 

 

 

人が生まれて

 

生きて

 

育っていくのは

 

魂に向かっていく旅のようなものです。

 

 

 

それは

 

もうあなたが知っています。

 

 

 

行きなさい。

 

主の喜びと平和の裡に」

 

 

 

感謝の涙がとめどもなく流れました。

 

 

行こう。

 

2016年。

 

私のいのちの旅路を、行こう。

 

 

決心がより固くなりました。

クリスマスには「きよしこの夜」をオカリナで


「きよしこの夜。」

 

クリスマスの歌の代表と言っていいでしょう。

 

私は毎年、クリスマスにはこの曲を真っ先にオカリナで吹きます。

 

 

この曲に歌われている物語は

 

イエスの誕生の場面です。

 

 

「きよしこの夜」のできるまで

 

「きよしこの夜」の曲は

 

もともと、ギターのための曲でした。

 

そのいわれは・・・・

 

 

時は1818年、オーストリアの聖ニコラウス教会でのことです。

 

クリスマスイブの前日に、教会のオルガンが壊れてしまったのです。

 

 

しかし、このことがハッピーアクシデントとなり、

 

「きよしこの夜」の名曲が生まれることとなりました。

 

 

「オルガンが壊れては、クリスマス曲の伴奏ができない!!!」

 

 

当時28歳だった教会の若き助祭(いわゆる神父様の補助)であるヨゼフ・モールは

 

ドイツ語の原詩「Stille Nacht」(英訳では「Silent Night」)を急きょ書き、

 

村の音楽教師でオルガン奏者のフランツ・クサーヴァー・グルーバーに

 

ギター伴奏のための作曲を依頼しました。

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当時は、オルガン演奏が伝統であり、

 

ほかの楽器は「世俗的だよ!」としかめっ面されていた固い時代です。

 

 

 

「教会のミサでギターなんて・・・」という声は当然出ておかしくありませんでした。

 

 

 

しかし、助祭のヨゼフは、グルーバーに熱く説得し、

 

グルーバーは徹夜で構想を練って、一晩で曲を書き上げ、

 

ミサが始まるわずか数時間前に曲が出来上がったと言われています。

 

 

 

つまり

 

「きよしこの夜」は、

 

ギターのための聖歌

 

~いま時でいう「フォークソング・ミサ」の曲だったんですね。

 

 

私の個人的な意見ですが

 

教会のミサや礼拝は、祈りの場ですが、

 

祈りを深めるために使う楽器に、制限はないと思うのです。

 

 

つまり、祈りが深まればいいわけで…

 

 

きっと

 

イエスがこの場にいたら、「オルガンが壊れてるなら、ギターがいいね」

 

って言われると思います。

 

 

 

 

私は、教会のミサの席でもしばしばオカリナを演奏します。

 

(ちなみに、先日は、仏教の法要の席でオカリナを演奏してきました )

 

 

このギターのための曲「きよしこの夜」も

 

オカリナに本当にマッチします。

 

 

 

これは私の演奏の動画ですが、

 

ぜひお聞きください。

 

クリスマスの旅路で生まれた 世界でたった一人のベイビー物語


クリスマスの主役は、2000年前に旅路で生まれた一人の赤ちゃんです。

名前はイエス。今日は、イエスの誕生のことを考えます。

 

 

イエスの誕生の夜

 

ある日、まだ結婚していない乙女のマリアのもとに

 

天使が現れます。

 

「マリア!

 

何とあなたは祝された方なんでしょう!

 

神はあなたと共におられます。

 

あなたのおなかの中の子どもイエスも祝福されています!」

 

現れた天使は

 

大天使ガブリエルと言います。

ふぃりぽ 受胎告知

 

マリアはその信じられないお告げに戸惑います。

 

「え?

 

わたし、

 

男の人をまだ一度も知りませんのに」

 

 

そして

 

大天使ガブリエルに、

 

「私は神のはしためです。

 

み言葉のとおりになりますように」

 

 

 

 

この不思議な運命を受け入れるのです。

 

 

そして

 

 

神の子であるイエスは、処女のままの母マリアのおなかに宿り、

 

マリアと婚約していた大工ヨセフは

 

生涯マリアとの間で純潔を守りながら、

 

イエスを育てます。

 

 

イエスが生まれたのは、

 

戸籍調査の命令が下り、

 

ユダヤの全国民が故郷の村に帰らなければならなかったので、

 

マリアとヨセフは、住んでいたナザレから、ヨセフの故郷に帰る旅に出ます。

 

 

 

ちょうど旅のころ、マリアのおなかは、大きくなっており、

 

胎内のイエスはいつ生まれてもおかしくない状況でした。

 

 

その旅の途中、

 

ベツレヘムという町に差し掛かった時に、マリアは産気づきました。

 

もう夜でしたが、ベツレヘムの宿屋はどこも満員でした。

 

ヨゼフは、必死であちこちの家に頼み込みますが、

 

ことごとく断られ、

 

やっとのことで、馬小屋に泊めてもらいます。

 

その馬小屋で、救い主イエスは生まれたのです。

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「きよしこの夜」は

 

旅の途中のベツレヘムで、イエスが生まれた喜びをほのぼのと歌い上げた歌です。

書道師範とオカリナ好きとの出会い


オカリナぽーるです。

 

7月ごろのお話ですが、

 

ふとしたご縁で私は一人の書道家の師範と出会いました。

 

 

師範と言っても

 

長いひげを生やした大先生という感じではなく、

 

どちらかと言えば親しみやすい、

 

青年風のさわやかな先生です。

 

 

 

書道とオカリナ?

 

何の関係もなさそうですが、

 

 

 

実は私は

 

書の筆の運び、

 

その時、その場でしか現れえない筆の勢い、筆のリズムに

 

オカリナの即興演奏と通じる何かの縁を感じるのです。

 

 

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↑ 坂本幸一さんの書

 

 

 

書道とオカリナ? 何の関係があるの?

 

私は以前から

 

オカリナの即興演奏で

 

日本のこころ、やまとごころ を表現するというテーマに取り組んでいます。

 

この動画は「さくら、さくら」をきっかけに

 

「一期一会」を表現したくて、祈りながら即興で録音したものです。

 

オカリナでは

 

そのときの気持ち、

 

その瞬間にしか現れえない何かが、音であふれ出る一方で

 

「書」

 

では

 

筆を通じて

 

そのときその場でしか表しえない何かが

 

白い空間に出現します。

 

 

 

書の師範

 

坂本幸一先生は、

 

 

 

書道の仕方を教えるということだけではなく、

 

書を通じて、

 

自分に向き合う

 

自分を知る、

 

自分の自分にしかない夢を実現する

 

ということを目指しておられました。

 

 

そしてその夢を熱く語られました。

 

 

 

その気持ちに私は本当に共感したのです。

 

 

 

思えばオカリナも同じで、

 

オカリナはただ音楽を演奏するだけのものではありません。

 

オカリナは、たましいの言葉をしゃべる口の一部だと思っています。

 

だから私は、オカリナを人に教えるときは

 

吹き方にこだわりません。

 

基本は当然教えてもらわないとできないこともありますが、

 

最低限の音階と運指をおぼえてもらったら、

 

あとは、曲になっていなくても

 

心行くまで吹きまくりましょうといつも言っています。

 

 

坂本幸一さんとの出会い

 

 

坂本さんと出会ったのは

 

「フロントラインマーケティング」や

書籍「クビでも年収一億円」の著者でもある小玉歩さんの主催するセミナーでのことでした。

 

 

セミナーのお話の中で、坂本先生は

 

見かけの明るい印象とは想像もつかないほどの

 

つらい少年時代を過ごされたと語っておられました。

 

非常に貧しい家庭に生まれ、お母さんは小さいころに出て行かれ、

 

ひねくれていた学童時代。

 

 

しかし、

 

そんな中で書道に出会いますが

 

型通りの字を書かず、自分の好きなように書きまくっていたある日、

 

書道の先生と意気投合して、書道に打ち込みます。

 

 

坂本さんは

 

その後、学校教師になり、

 

書道を通じて、いろいろな学生の教育に専念されます。

 

 

そのときのお話もとても興味深く、

 

 

 

書道をつうじて

 

字の書き方だけではなく

 

自分の中の何かを発見するお手伝いをしている

 

というお話にとても感銘を受けました。

 

私が福祉活動の中でいつも目標にしている

 

「エンパワメント」に通じる見方があると感じました。

 

 

 

それで

 

坂本さんのお話が終わるや

 

私は坂本さんのもとに飛んでいき、

 

交流を持たせていただきました。

 

 

 

お話する中で

 

「学校教育に全力を注いできましたが、

 

そこに自分のやりたいことの限界を感じました」

 

と。

 

昨年、退職を決意され、

 

ネットをフル活用しながら、書道を通じた

 

「自分探し、夢の実現」

 

に全力を注いでおられます。

 

 

 

私がこれまで訴えてきた

 

「夢と自由のバリアフリーロード」が

 

坂本さんのご活動の中に見事にあると確信しました。

 

 

 

本日この記事で

 

坂本幸一さんに触れてほしかった理由は

 

メールマガジンに書かれている坂本さんのお話、

 

お考えに触れたら

 

なるほど!とわかると思うからです。

 

 

 

オカリナは、ただ正確に楽譜を演奏するものではありません。

 

書道はただ正確に字を書くものではありません。

 

私は

 

私で

 

私なんだ!

 

私なのよ!

 

 

 

たましいが息吹いて言っている

 

その呼吸です。

 

 

だから

 

大切なあなただからこそ、

 

真心こめて坂本幸一さんをご紹介したいと思います。

 

 

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