【特攻隊に入れなかった男 8完】「魂の自由」~何年もかかって気付いたこと


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特攻隊に入れず

生きた父。

 

神父になれず、修道院を追い出されても

捨てなかった信仰。

 

 

そんな父を

アホ

と言っていた私。

 

 

しかし、

恥ずかしながら

今年になって気づきました。

 

 

父が重い病床にあっても守り抜いた「信仰」とは、

一般的に言うなら

 

主体的に生きる自分自身、

大切な自分自身の魂である

 

 

何年もかかって

私は気づいたのです。

 

 

父が残した言葉

 

「たとえ全ての財や心身の自由を失い、

 

知能を全て失っても、

 

決して失うことのないものがある。

 

それは、主を信じる心、

 

神を敬愛する心だ。

 

いいか、

 

これだけはどんな時でも失われることはない。

 

決して忘れるな。」

 

 

 

 

父は病床にあって、そのことを自分で守り抜いたのです。

 

キリスト教の信仰とか

神と言ったことは

私はよくわかりませんし

それを語れる立場では到底ないのですが、

 

 

父が残した言葉

 

それは

 

キリストの教えに限らず、

 

「自分自身の価値」

どんな時も消え去ることがないということの

信念

 

特攻隊に入れずに生きた男

神父になれずに結婚した男の

魂の叫びでした。

 

 

父の姿を通じ、

私はいかなる病魔もいかなる障害も、

人の魂の自由を奪うことはできないと確信しました。

 

 

末期

あのようなひどい状態にあっても

たましいの底にある

ぜったいになくならない「感謝」を

声もでない口から

絞り出した父。

 

 

 

多くの人は、くらしのこと

健康のこと

多くの問題に縛られ、

不自由に生きざるを得ません。

 

 

しかし、その人そのもの、

つまりですね、

「魂」

これは

自由である

って思うんですよね。

 

どんなにえらい人も、

どんな国家や軍・警察の権力も

どんなに重い障害や病気も、

人の「魂の自由」を奪うことはできない

 

ということを深く感じます。

 

 

 

 

 

恥じまみれ

 

糞まみれ

 

汚名まみれで生きていること

 

 

そのことを誹謗する人も多ければ

中傷する人も多いことを

私は痛いほど知っています。

 

 

しかし

 

しかしですね。

 

 

 

私がどんな姿であっても、今ここにいること、

あなたがどんな姿であっても、いまここに いること、

 

 

それこそが

それっこっそが、

 

ものすごい価値だ。

 

 

そう思うのです。

 

 

 

この真実を

 

 

 

特攻隊に行けなかった男が

その代わりにこの世に残したいのち

 

わたしのこのいのち

 

このいのちで、

 

私は証していきます。

【特攻隊に入れなかった男 7】私は病室の床に唾を吐いた。


父は、もはや体を動かすことも

口をきくこともできなくなりました。

 

それなのに

体が動かなくても

手を合掌しようとし、

祈ろうとしていた父でした。

 

(祈って何になるんだ)

 

私は内心思いました。

父が理解できませんでした。

 

 

そんなある日、

枕もとに置いている聖母マリア(キリストのお母さん)の絵を

目で一生懸命見るのです。

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「なんや、おとうちゃん?」

 

私が聞くと

必死に聖母マリアの絵を見ます。

 

「そうか、わかった。」

 

私は、父の額に聖母マリアの絵を近づけました。

 

 

厳格で厳しく、涙一つ流さなかった

鬼教師の父の目から

 

涙があふれました。

 

父は声の出ない口を開けて何かを言おうとします。

 

 

私は、口の形を読みました。

 

「か・み・に・か・ん・し・や」

 

父の目からとめどもなく涙が流れました。

 

 

「そーか、そーか

神に感謝か。

わかったわかった」

 

私は軽くあしらいました。

 

 

 

内心私はこう思いました。

 

(何が感謝だ。

みじめなことだらけの

泥まみれに、迷惑三昧の人生だったじゃないか。

挙句の果てに

こんな状態になってしまったじゃないか。

感謝もくそもないではないか。)

 

父は

 

「か・み・に・か・ん・し・や」

と口を開けたっきり、

 

状態が悪化し、

亡くなっていきました。

 

「なにが

神に感謝だ!」

 

私は

病室の床に唾を吐きました。

 

【特攻隊に入れなかった男 6】いま、ここでできることを、いますぐに。


もうひとつ

父を通じて気づかされたことは、

 

今ここでできることを

直ちに実行することの大切さでした。

 

父は、手が動かせる頃、

ボードに「アイスクリイム」と書きました。

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私は「もう少し良くなって先生が許可したら買って来る」と答えました。

 

しかし、病状は悪化し、二度とそれを口にできなくなったのです。

 

父にしてやりたかったのに機会をのがしてしまったことは多く、

特に父の意識があるうちに

これまでの親不孝を素直に謝ることができなかったことが

悔やまれてならなりません。

 

今という状態は、次の瞬間どうなっているかわかりません。

 

だから、今この場でしようと思ったことを先延ばしにしないで

 

すぐに実行すること

 

 

これが重要であると

痛く心に思いました。

 

 

アイスクリームのことも悔やまれてなりませんが

もっと悔やまれることがありました。

【特攻隊に入れなかった男 5】「すべてを失っても失わないものがある」


父は

病弱ながらも

74歳まで生きました。

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末期には

体がほとんど動かせなくなり、

しゃべることすらできなくなりました。

 

父の病気が悪化した当時

私はホームヘルパーとして

千葉のデイサービス事業所の責任者をしていました。

しかし、父を悔いなく介護しようと決め、

千葉を去って郷里に帰ることにしました。

 

帰ったとき、父は既に呼吸器をつけ、

話すことも動くこともできない状態でした。

父の手を握った時、父の目に涙が光りました。

父は、元気な頃よく言っていました。

 

 

「たとえ全ての財や心身の自由を失い、

 

知能を全て失っても、

 

決して失うことのないものがある。

 

それは、主を信じる心、

 

神を敬愛する心だ。

 

いいか、

 

これだけはどんな時でも失われることはない。

 

決して忘れるな。」

 

と。

 

 

 

父は病床にあって、そのことを自分で守り抜いたことを

私は見ています。

 

 

合掌する手が動かなくても、

1センチ手を動かして心で合掌していました。

【特攻隊に入れなかった男 4】国にも神にも捧げられなかった命を、どう生きるのか?


やっと神父になる道が開かれた

修練生活のある日

父は

突然解任されます。

 

こんどこそ

 

この

死に損なった命を

役に立てたいと思ったのに・・・・

 

 

 

また父は歯ぎしりしました。

 

 

「このいのち

ささげたいのに捧げられない。

 

生きることは何なんだ。

 

恥を忍んで生きろというのか。

 

恥じまみれで生きろというのか。」

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その後父は、

働きながら夜学で大学を卒業し、

教師になり、

 

お見合いの話が突然あって

母と結婚しました。

 

 

父は

命をささげられなかった代わりに

 

二人の男子が生まれました。

一人が私です。

 

 

 

 

特攻隊に行けなかったから

 

神父になれなかったから

 

その代わりに私が生まれました。