日本の心 清く美しく明るい心 だから3.11を忘れない


きょうは

 

東日本大震災から3年。

 

 

あのとき、

 

あっという間に津波が、

 

みんなの大切な故郷を飲み込んでいった。

 

 

3年たっても、

 

まだこれから必要なこと、

 

いっぱいあると思うんです。

 

 

失ったものは

 

家・財産だけではないでしょう

 

大切な思い出や

 

大切なつながりや

 

なじんでいた生活や・・・

 

 

それで

 

心の傷が残る。

 

 

PTSD

 

 

心の傷を治していくのは

 

これからからって思う。

 

でも

 

絶対に治る。

 

治らないものか!

 

そう思う。

 

 

 

しなければならないこと

 

ずっとあるって思うんです。

 

 

愛する日本の

 

愛する私たちだから

 

どんなに失ったものが大きくても

 

絶対に絶望にはしたくないって思うんです。

 

 

そんな思いも込めて

 

「きみがよ」

 

吹きました。

↓↓↓

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明けましておめでとうございます。ウイーンフィル ニューイヤー・コンサートでのハプニングです。


明けましておめでとうございます。

元日は、ウイーンフィルのニューイヤー・コンサートを

お茶の間で優雅に聴いて過ごしました。

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今年のウイーンフィル・ニューイヤーコンサート2014は

イスラエルの指揮者 ダニエル・バレンホイムさんの素晴らしい指揮でした。

 

バレンホイムさんの指揮は5年前も聴いたことがあるのですが

切れの良いリズムと、重ね合わさった重厚で美しいハーモニーの二つの要素が

見事に調和していて、

かつてのサー・ゲオルグ・ショルティーの指揮を連想させます。

 

このコンサートで最も驚いたのは

コンサートの最後の曲

ヨハン・シュトラウス1世作曲のラデツキー行進曲

での出来事です。

 

運動会でもおなじみの曲ですが、

 

曲が始まって少ししたら

バレンホイムさん、

指揮台を離れて、オーケストラの演奏者一人一人に

握手したり、花束を分かち合ったり、抱き合ったりしています。

 

あれ・・・????

 

指揮者がいないじゃないか????

 

バレンホイムさん、どうやって指揮を取っているのかな?

音楽で頭がカチコチの私には

チンプンカンプンの出来事でした。

 

 

実は

これ

バレンホイムさんの

曲が始まるときの、ちょっとしたことに秘密があります。

 

 

 

 

わかりますか??

 

 

 

 

バレンホイムさん、

曲の始まりの時に

オーディエンスの手拍子を確認しました。

ラデツキー行進曲は、毎年、コンサートのエンディングに演奏され

みんなで手拍子をします。

手拍子の波が乗ってきたころに

バレンホイムさんは指揮台を離れました。

 

 

どういうことでしょう?

 

 

 

指揮者は

手拍子をうっているオーディエンスです!

オーケストラは

このオーディエンスの手拍子のリズムに合わせて

演奏しているのです。

 

 

バレンホイムさんは、コンサート後のインタビューでこう言われました。

「音楽は、このようにみんなで作っていくものだよ。」

 

 

音楽は、人と人のつながり

みんなが盛り上がって

みんなが調和して

さらにそれがレバレッジになって

自然発生的に輪が広がる。

 

そこに指揮者がいなくても

みんなが指揮者となる。

 

 

ホールいっぱいのオーディエンスは

いろいろな国から集まってきた、いろいろな人々でしたが、

楽しい時間をこの場所で分かち合い

みんなで手拍子をうっていました。

 

 

指揮者のもとに集まった人と人がつながって

心あわせて手拍子を打てば

それが、指揮になる

それが、生きたリズムになる。

まさにそれを体感しました。

 

 

新年にあたっての気づきですが、

ビジネスにせよ、様々な活動にせよ、

ネットで何かに取り組んでいる私たちの活動も

人と人とのつながり。

つながった人と人が、作り上げていくものだなあと

このコンサートを聴いて気付きを新たにしました。

 

 

 

これからも人と人どうし、しっかりつながってまいりましょう。

今年もよろしくお願いいたします。

お利口さんセルフコーチング


こんにちは、オカリナぽーるです。

 

今日は、「おりこう」でセルフコーチングすること

について考えてみたいと思います。

 

まず、人に何かを教えて理解してもらうための基本です。

その人に応じた、その人の理解できる言葉で教えて、

その内容を自分で言わせてみて、

教えられたこととその人が理解したことにずれがないか確認して

(もし簡単にできる事であれば)やらせてみて、出来ることを確認して

 

出来なかったら、最初のサイクルに戻って・・・

 

ということになりますよね。

 

それで、私が小学校のころのことを思い出しました。

私は変わり者で、問題の多い生徒であり、

先生はとても素晴らしい先生でした。

 

先生は、悪いことをした私を職員室に呼んで

「おはなし」を延々としました。

もう、私は泣きそうだったのですが

長い長い「おはなし」の最後に

「じゃあ、先生は君に何を言ったかしら。

何を言われたか説明してちょうだい。」

と私に問いかけるのですが

私は言おうと思えば言えたのですが

先生の声が怖くて、何か責め立てられているようなので

声を出す気持ちになれませんでした。

「何にもわかってないのね。物わかりの悪い子ね」

ということになりました。

 

今から思うに、

これは「理解の確認」をしていたのであって

まさに「先生のための教科書」

のとおり、しっかりと私を指導してくれていたんだと思います。

 

しかしそんな立派な指導を受けていたのに、

私の頭には、長いこと立ったまま話をされてしんどかった、

怖かった

自分がとても悪い子だった

そういう記憶しか残っていないんです。

 

 

何十年もたった先日、

地域の子どもに注意をしなければならない場面になりました。

 

子どもたちが立ち入り禁止の危ない場所で遊んでいて

だれが叱っても言うことを聞かないのです。

 

それで私の出番だったのですが、

あの時の先生と同じ方法しか思いつきませんでした。

しかし、あの時の辛い思いはさせたくないので、工夫しました。

私は、目をキラキラさせて言いました。

 

「面白そうやのう。

遊んでるんか?」

 

子どもたちは目をキラキラさせています。

それで、

相変わらず目をキラキラさせて

「ここで遊んでたらなあ、・・・」

とこの場所で遊んだら危険なことを

アンパンマンとかポケモンとかのたとえも入れて

面白おかしく説明しました。

 

それで、

「はいっ!ではクイズだあ!

さっき、ぼくが言ったこと

説明できる人手をあげてっ!」

 

そうすると

子どもたちは相変わらず目をキラキラさせて、

「はいっ!」

と手をあげます。

 

それでちゃんと言えたので

「おう、言えたやんけ。

えらいぞ。

 

みんな、お利口やなあ。

お利口だから、こんなところで遊ばないよな。

どれだけ危ないか、よおおおーくわかってるもんな。」

満面の笑顔で思いっきりほめました。

 

すると子供たちは

今まで誰に言われても言うことを聞かなかったのが、

違う場所で違う遊びをしようと話し出しました。

 

 

 

さて、私は、

わたしの小学校の時の先生と

どんなちがいを意識したのでしょう?

 

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私が意識したのは

「先に信じること」

「先にほめること」

です。

そして

雰囲気です。

何か、責めたり注意しているような、厳しい雰囲気でなく、

子どもたちを承認している雰囲気。

キラキラ目を輝かせて、親しく楽しい雰囲気。

 

 

 

たいがい、そうすると、

ほめられたようになっていきます。

 

もし、

そうならなかったら、

相手が聞き分けがないと考えるのではなく、

自分の伝え方が不適切だったと考えます。

 

そうしたら、また戻って、違う伝え方で伝える。

今すぐ再トライするには気まずい場合は

また、別の機会まで待つ。

 

 

そうします。

 

これを

自分が自分自身に対してしてあげるのが、

セルフコーチングなんですよね。

 

自分の中には、コーチの自分と

コーチを受ける自分がそれぞれいます。

 

コーチの自分は

コーチを受ける自分をいろいろ心配します。

 

そんなとき、

まず

先に

自分を信じてあげること。

自分をほめてあげること。

 

それを

結果を待たずに、

先取りしてしてあげましょう。

 

そうしたら、

そういう結果になったかのように

コーチを受ける方の自分はごきげんになって、

本当にそうなっていきます。

 

専門家の場で話す時は

私はこのことを「内なる抑圧からの自己の解放」と言っているのですが

そんな難しい言葉は、ピンとこないと思いますので

「お利口さんセルフコーチング」と言いましょう。

 

さあ、

今日は自分にどんなほめ言葉のご褒美をあげますか?

「幸せの法則」って何?


こんにちは、

 

オカリナぽーるです。

 

今日は、よく書籍で見かける「幸せの法則」について

考えてみました。

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幸せになるための本や

 

自己啓発書に共通して書かれていることがあります。

 

 

笑顔でいれば 笑顔が返ってくる

 

感謝を忘れないことが 幸せになる秘訣

 

 

その通りだと思います。

 

私は非常に共感しました。

 

 

 

そうです。

 

 

どんな苦しい時も

 

笑顔を忘れないことが

 

周りの人を楽にできるし、自分自身も幸せが返ってきます。

 

 

感 謝

 

このことに偽りは一切ありません。

 

いつも何かに感謝していることは

 

しあわせの本質です。

 

 

どんなに困難な境遇でも、

 

少しのことを見つけて感謝できる

 

ありがたい、ありがたいと

 

神仏に合掌できる

 

この気持ちをいつも忘れないでおくことが

 

幸せにつながる秘訣だと思います。

 

 

 

でも

 

何かを見落としている・・・・・

 

 

 

恐怖や不安のどん底にあったとき

 

その法則を守れていただろうか・・・

 

 

 

そのどん底から少しずつ回復してきた時も

 

その法則のとおりできていただろうか・・・・

 

 

 

本ではそう書いてある

 

周りの人もそういう。

 

 

しかし、

 

そうなれないことが

 

ものすごく辛かった。

 

ふり返れば、ものすごく辛かった。

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

人は

 

そう簡単に

 

笑顔になったり

 

感謝できる気持ちになれないのです。

 

 

 

そんなときは

 

そのままでいいんです。

 

 

 

だれかが

 

そのままでいいよ

 

と言ってくれたなら

 

 

 

ここまでしんどい思いはせずに済んだでしょう。

 

 

 

たいせつなこと

 

それは

 

まず

 

暗闇の中でいいから

 

そのままの自分で

 

いること

 

そのままの自分をそっといたわってあげること。

 

 

 

焦ることはありません。

 

 

笑えないなら

 

笑わなくていい。

 

 

何も話せないなら

 

話さなくていい。

 

 

感謝できないなら

 

感謝なんてしなくていい。

 

 

 

 

 

一方

 

心のすさみの中にいる人の周りの家族もまた

 

辛い気持ちになったり、

 

当人や自分自身を責めたりしてしまうことをよく聞きます。

 

しかし

 

周りの家族、友達も

 

一つのことを理解してほしいのです。

 

それは

 

笑顔になれない家族を

 

そのままにしておいてあげることです

 

 

 

 

家族の中に、心のすさみの中にいる人がいれば

 

ともすると

 

その家族に笑顔がない、

 

家族がぎすぎすしていることに心配したり

 

苛立ったり、

 

これだけ尽くしているのに・・・と燃え尽きたり

 

すると思います

 

 

しかし

 

そんな気持ちはどこかにやっておいて

 

 

いまは

 

そっとしてあげてほしいのです。

 

 

 

気持ちは寄り添いながら

 

そっとしてあげること

 

 

 

 

 

そういう心を使ってあげてほしい。

 

 

 

闇の中に何年も横たわっていた者が

 

経験からするお話しでした。

コーンポタージュのうた


こんにちは

 

オカリナぽーるです。

 

この頃朝夕が寒くなってきて、

 

ポタージュスープが恋しくなりました。

 

それで、いろいろな心境を思い出して詩を書きました。

 

本日は、最近書いた詩を公開します。

 

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コーンポタージュのうた

 

コーンポタージュ

 

コーンポタージュよ

コーンポタージュ

 

湯気の中においしそうな香りをたてて

君は何を思う

 

いったいどれほど時間がたったのだろう

君は広い広い畑に落ちた種だったね

 

どんな草になるのかな 君は心配そうだったね

 

やがて芽を出し葉をつけて きれいな花が咲いて

たくさんの実をつけた。

 

君のつけた身はどんどん増えて

広い広い畑にいっぱいになった

 

お空の青や 風の香りが気持ち良かったね

 

ある時農夫がやってきて

きみは刈り取られて袋に入れられた

これからどうなっていくのだろう

突然のことに君の心は心配でいっぱいだったね

 

それから先のことは覚えていない

そう・・・工場の人が君を機械にかけて

君の姿は全く変わってしまった

パックに入れられて

スーパーマーケットで売られた君には

「コーンポタージュスープ」という名前が付いていた

 

ある時仕事帰りのおじさんがスーパーにやってきて

君を買って家に帰った

 

家には風邪をひいた子供がいた

 

おじさんは君を鍋に入れてあたため

カップに入れて子どもに言った

 

飲んでごらん、おいしいよ

 

おいしいね

心いっぱいそう微笑んで

こどもはスープを飲んだ

 

コーンポタージュよ

コーンポタージュ

もうカップの中には

君の姿はないけど

おいしかったねとほほ笑む

子どもの笑顔があった。

 

この笑顔が光になって空に広がって飛んで行った。

 

そして子どもは元気になって

君はお空になった。

 

どこからも見えるお空になって

いつも子どもを照らすようになった。

 

だから私はもう君を忘れない。

 

きみがとうもろこしだったことも

「コーンポタージュ」だったことも

そのうち私は忘れるかもしれない。

 

でも私は君をいつまでも忘れない

おいしいねという気持ちの中に

嬉しいねという気持ちの中に

いつも君がいるから

 

わたしはいつまでも忘れない