しあわせの法則の落とし穴


yuuyake2

私は

 

幸せになるためのガイドブックや

 

啓発書をよく読みます。

 

そこには

 

共通して書かれていることがあります。

 

 

 

 

笑顔でいれば 笑顔が返ってくる

 

感謝を忘れないことが 幸せになる秘訣

 

 

その通りだと思います。

 

私は非常に共感しました。

 

 

 

そうです。

 

 

どんな苦しい時も

 

笑顔を忘れないことが

 

周りの人を楽にできるし、自分自身も幸せが返ってきます。

 

 

感 謝

 

このことに偽りは一切ありません。

 

いつも何かに感謝していることは

 

しあわせの本質です。

 

 

どんなに困難な境遇でも、

 

少しのことを見つけて感謝できる

 

ありがたい、ありがたいと

 

神仏に合掌できる

 

この気持ちをいつも忘れないでおくことが

 

幸せにつながる秘訣だと思います。

 

 

 

でも

 

何かを見落としている・・・・・

 

 

 

恐怖や不安のどん底にあったとき

 

その法則を守れていただろうか・・・

 

 

 

そのどん底から少しずつ回復してきた時も

 

その法則のとおりできていただろうか・・・・

 

 

 

本ではそう書いてある

 

周りの人もそういう。

 

 

しかし、

 

そうなれないことが

 

ものすごく辛かった。

 

ふり返れば、ものすごく辛かった。

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

人は

 

そう簡単に

 

笑顔になったり

 

感謝できる気持ちになれないのです。

 

 

 

そんなときは

 

そのままでいいんです。

 

 

 

だれかが

 

そのままでいいよ

 

と言ってくれたなら

 

 

 

ここまでしんどい思いはせずに済んだでしょう。

 

 

 

たいせつなこと

 

それは

 

まず

 

暗闇の中でいいから

 

そのままの自分で

 

いること

 

そのままの自分をそっといたわってあげること。

 

 

 

焦ることはありません。

 

 

笑えないなら

 

笑わなくていい。

 

 

何も話せないなら

 

話さなくていい。

 

 

感謝できないなら

 

感謝なんてしなくていい。

 

 

 

 

 

一方

 

心のすさみの中にいる人の周りの家族もまた

 

辛い気持ちになったり、

 

当人や自分自身を責めたりしてしまうことをよく聞きます。

 

しかし

 

周りの家族、友達も

 

一つのことを理解してほしいのです。

 

それは

 

笑顔になれない家族を

 

そのままにしておいてあげることです

 

 

 

 

家族の中に、心のすさみの中にいる人がいれば

 

ともすると

 

その家族に笑顔がない、

 

家族がぎすぎすしていることに心配したり

 

苛立ったり、

 

これだけ尽くしているのに・・・と燃え尽きたり

 

すると思います

 

 

しかし

 

そんな気持ちはどこかにやっておいて

 

 

いまは

 

そっとしてあげてほしいのです。

 

 

 

気持ちは寄り添いながら

 

そっとしてあげること

 

 

 

 

 

そういう心を使ってあげてほしい。

 

 

 

闇の中に何年も横たわっていた者が

 

経験からするお話しでした。

 

あなたにプレゼントです。「生きるってことは、愛だよ」


生きるってことGIFその人との出会いは、病院の集中治療室の中だった。

「生きるってことは、愛だよ。愛に格好なんてないんだよ。」

という言葉の宝物をくださった90歳の友人だ。

 

私は当時、NPO(非営利活動法人)のホームヘルパーだった。

病院入院中の人、しかも集中治療室にいる重症の人のところには

介護保険制度ではホームヘルパーのサービスができない。

しかし、このNPOは介護保険では支えられない人々の支援のために

ヘルパーを派遣していた。

 

そのような経緯で

私は

ガウンとマスクとヘッドキャップをつけ、

手にはゴム手袋をつけ、

両目しか外からは見えない状態で、

その人のいる集中治療室を初めて訪問した。

 

入るなり、

その人は私の目を見て言った。

「やっと来てくれたんだね。

あんたに会いたかったんだよ。」

 

なぜだか涙が流れた。

どういう涙か説明がつかない。

 

手袋ごしではあったが

彼女の手を取って

ふたりで涙を流した。

 

彼女は寝たきりで、

全身が自由に動かず、

しかも激しい痛みのある状態だった。

 

入院中も、退院後も

ホームヘルパーとして訪問した。

彼女はヘルパーに対して厳しく

私のような不器用な男性ヘルパーには

特に厳しかった。

 

しかし厳しい中にも

いろいろなお話をしてくださった。

 

彼女の人生、

数えきれないほどの多くのことがあった。

ここではとても語りつくせない

熾烈な出来事の数々。

 

辛い出来事は

過去だけではなかった。

彼女と話している真っ最中も

痛みは容赦なく襲う。

 

そして

彼女のたった一人の娘さんが亡くなるという

さらにつらい出来事が起こった。

体が動かないためにお別れにも行けなかった。

 

私はヘルパーとして

家事やお体のお世話をしながら

寄り添っていることしかできなかった。

 

そんななかで

彼女は私の手を取って

出しにくい声を絞り出すように語ってくれた言葉

それが

 

「生きるってことは、愛だよ。」

 

という言葉だった。

 

「これから私の言うことを

よく聞いておくれ。

 

私はこんな体になっても生きている。

今、あんたやヘルパーさんと一緒に、時間を過ごしている。

 

それがなぜだかわからない。

わからないけど今がある。

 

いいかい、

 

生きるってことは 愛だよ

 

愛に格好なんか ないんだよ

 

少ししか生きられない いのちでも

何歳になっても生きなきゃあいけない いのちでも

 

あなたのいのち、誰も代わりに生きられないよ。

 

たった一人のあなたなんだ

 

それほど大切なあなたなんだよ

 

だから

このいのち

生きて

生きて

生き抜こうね。

 

それが

愛だよ。

 

私のいのちがもし、

仏さまのところに行ったとしても、

 

 

あんたがこの地球上にいるいのちで

 

この言葉を一人でも多くのひとに伝えておくれ。」

 

 

数週間後

 

私があることで悩んでいて

うっかりミスや失敗が多くて

彼女からいろいろお叱りを受けながらのことだ。

 

「あんた、何かに悩んでいるんだね。」

 

と彼女は

私の語れない悩みを見抜いているようだった。

 

覚えているかい?

生きるってことは、愛だよと言ったことを。

 

愛は、男と女のことだけじゃないよ。

 

愛に格好なんてないんだよ。

 

愛に理由なんてないんだよ。

 

格好が悪いからって

しょげるもんか。

 

私もいのちがけで生きている。

 

あんたも

生きるんだよ。」

 

 

彼女が亡くなったのは

 

その数日後だった。

 

 

 

「生きるってことは、愛だよ」

 

 

彼女から頂いたこの言葉で

私は衝撃をうけた。

 

 

愛は思いやり、

誰かに何かをしてあげることと

いままで思っていた。

 

 

人に何かができて

感謝してもらえて

うれしいこと

それが愛だとばかり思っていた。

 

しかし、それだけではなかったのだ。

 

愛とは、そこに、いま、私がいること。

生きて、そこにいること。

それが、まさしく、立派な愛だったのだ。

 

 

 

あるリハビリの博士は

「能力の価値から

存在それ自体の価値へのパラダイムシフト」

という表現でそのことを説明している。

 

どんな姿でもいい。

みんなに何を言われようともいい。

 

いること。

 

いま、いること、

 

これほど素晴らしい愛はない。

 

 

私は、90歳の友の言葉から

 

気づかせていただいた。

 

 

 

この記事を読んで下さっているあなたは幸いだと思う。

 

なぜなら、

 

出会い難い言葉に出会えたから。

 

 

どんなにお金を払っても

 

どんなに有利な立場にあっても

 

出会える言葉ではないけれど、

 

その言葉にあなたが出会うことができたことに

 

心からおめでとうと申し上げたい。

 

 

 

私は慎んでこの言葉のプレゼントを

 

あなたに差し上げたいと思う。

 

「生きるってことは、愛だよ。」