三浦雄一郎さん(冒険家でスキーヤー)が 80歳でエベレスト登頂!夢は何歳になってもゲットできる!


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私たちは、体と心を大切に保って、何歳になっても夢を求めたい。

そして、夢を追い求めることに年齢制限はない、

そんな勇気をくれる出来事がありました。

 

冒険家の三浦雄一郎さんが、

エベレスト登頂最年長記録を更新したというニュースを見ました。

エベレストに登頂した三浦さんは80歳。

これまで、スキーでの骨盤骨折や、たびたびの動脈硬化の手術など

健康上の難関を越えて、登頂されたとのことでした。

 

青春に年齢は関係ない、

どんな時でも私たちは夢に向かえる、

日頃からの私のこの信念が

より強くなった、勇気づけられるお知らせでした。

 

 

それにしても、80歳にしてエベレストに登れた、

この背景にはいろいろなことがあったのでしょうね。

 

もちろん、夢をかなえるために、

やめることなく絶えず夢に向かってこられた三浦さん

そしてそれを支えてこられたご家族や周囲の方

健康上の難関を超えるのを支えてくれた医師や医療スタッフ、

そして、

こうした大きな登山に必ず存在する、後方支援や安全、通信などの

登山チームの働き、

こうしたいろいろな力が、

協同して一つの夢がかなったのでしょう。

 

そんな三浦さん

夢はかなえて終わりではありません。

さらに、再来月には、一般のお客さんを招いての

北極圏クルーズツアーを企画しておられ、

夢は次々と続きます。

 

私の友人で、

20代のころエベレスト登頂に挑戦した先輩がいました。

 

彼はもう他界していませんが、

チョモランマ(エベレスト)の「第三の女神」に

中国側から挑戦した時の話をしてくれました。

彼は、頂上まであと十数メートルのところで、登頂を断念しています。

さらに、登山の途中で、登攀隊長を高山病で失うという悲劇がありました。

 

なぜ、先輩とそのチームが登頂を断念したのか。

 

それは、」亡くなられた登攀隊長の教えが心にあったからとのことです。

 

「頂上に立つ夢は、生きて命あってこそだ。

 

命を何よりも大切にしなさい。

 

命があれば、夢は何回も経験できる。

 

夢を達成しても、その命を失ってしまうことは悲しい。

 

エベレスト級の高山の天候は、不可思議だ。

 

人間には想像できない、神の範囲にある。

 

あと数十メートルで登頂できそうであっても、

 

空の表情を見て、断念すべき時は勇気をもって断念しなさい。

 

それは、あきらめたということではない。

 

勇気をもって生きることを選んだということだ。

 

もし断念しなければならない時は、勇気と誇りをもって断念せよ。

 

生きて向うに行ける、そして生きて帰ってこられると判断して初めて、登頂に踏み切れ。」

 

登攀隊長は、生前常にこう教えておられたそうです。

 

 

その登攀隊長が、任務中に高山病で命を失った。

 

チベットのしきたりに従って現地で葬られたそうです。

 

この悲しみを超えて、先輩たちは、登攀隊長の心を背負って、

 

「第三の女神」に向かいました。

 

そして、夢にまで見た「第三の女神」があと数十メートルのところに見えた!

 

そのとき、ある形と勢いのある霧が遠くに見えてきます。

 

このパターンは確実に、遭難するパターンです。

 

先輩たちは、第三の女神を目前にして、涙を流します。

 

登攀隊長の教えを思い出します。

 

登攀隊長の命は失われたが、我々は、隊長の命を背負ってここに立っている。

 

頂上に立って、命を失えば、隊長はどういうだろうか。

 

悔し涙で泣きぬれて、先輩たちは、勇気を振り絞って引き返しました。

 

 

 

現時点で空は青い。風は穏やかだ。第三の女神への岩壁はクリアだ。

 

登頂は目前に見えている。

 

にもかかわらず、先輩たちはなぜ引き返したか???

 

 

 

登頂後、遠くに見える霧が瞬く間に先輩たちを覆うことが、明らかに予想されたからです。

 

あとで明らかになったことですが、

 

あの時点でもし、頂上まで行っていたら、

 

確実に氷点下の霧に覆われて、下山が不可能になるということがわかりました。

 

先輩たちの判断は正しく、そして、絞りに絞った涙の底からの決断でした。

 

 

先輩は私に語りました。

 

夢をかなえる勇気と、

 

夢を追い続ける勇気を同時に持ってこそ、

 

勇者だと。

 

そして特に大切なのは、

 

夢を追い続ける勇気。

 

それは、生きて、命あってこそできる。

 

どんなに悔しくても、どんなにみじめでも、

 

命あれば、夢を追い続けられると。

 

 

 

そしてにっこり笑って言った先輩の究極の教え、

 

それは・・・・・

 

ドカーンと、

 

「メシを食って奉公するからメッシホウコウだ!

 

おいしくメシを食おう!」

 

その教えを守って、今日も私はグルメとビールを楽しみます。

 

 

 

生きることの素晴らしさ、生きていることの大切さを教えてくれた先輩は、

 

30代半ばで大腸がんで亡くなりました。

 

しかし私の生きる命の中に先輩が生きているから、

 

生きて、生きて、夢を追い求め続けよう。

 

80歳でエベレストに登り、

 

さらにこれからもいろいろな冒険の夢を意気揚々と計画されている

 

三浦さんに勇気づけられながら。

 

そう思う次第です。

旅の終わりに


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長い長い旅の終わりだった。

 

お寺の縁側の外から

 

ヒグラシの鳴く声がやさしくこだましていた。

 

その住職さんは、私に穏やかに語ってくれた。

 

 

「長い旅だったね。

 

本当に疲れて、ぼろぼろになったね。

 

でも

 

ふるさとには

 

きみを待ってくれている人がいるから

 

笑顔で

 

「ただいまっ」て、

 

きみの顔を見せてあげてくれないかな?

 

きみを待ってくれている人のために

 

体の健康も

 

心の健康も

 

大切にしてほしいんだよ。」

 

 

縁側の外からヒグラシが鳴く声と

 

夕風に木の葉が揺れる音が柔らかに聞こえていた。

 

 

 

(ぼくには

 

ふるさとなんかなくなった。

 

待ってくれている人は一人もいない。

 

独りぼっちなのに

 

そんなこと言われるのはつらいと思った。

 

笑顔なんてできない

 

元気になんてなれない。

 

しんどいと思った。)

 

 

住職さんは、しばらくの沈黙を楽しんでいるかのように

 

穏やかに夕空を見上げていたが

 

やがて静かに話を続けた。

 

「ここまで私が言ったところで

 

きみは本当につらいと感じているかもしれないね。

 

 

たぶん

 

待ってくれている人なんか

 

一人もいないと感じているんだろう?

 

 

 

それでも

 

体も

 

心も大切にして

 

ただいまって言ってほしいんだよ。

 

 

 

 

笑顔ができないのなら

 

そのままでいいから

 

 

きみの顔を見せてあげてほしいんだよ。

 

 

 

絶対になくならないふるさとに

 

どんなことがあってもきみから離れない友人が

 

きみを絶対に裏切らない友人が

 

きみが知らない間も

 

ずっときみのことを待ってくれているから

 

 

 

その人のために

 

帰ってあげてほしいんだ。

 

 

 

そのひとを大切にしてあげてほしいんだ。

 

 

 

そのひとは

 

きみが笑顔じゃなくても

 

どんな姿でいても

 

きみが帰ってきてくれるのを

 

待っているから。」

 

 

 

縁側の外から

 

ヒグラシの鳴く声が聞こえていた。

 

私は沈黙したままうつむいていた。

 

心の中でこう叫びながら…

 

(だれなんだ!

 

そんな友人はいやしない!

 

ぼくが全てを失って

 

信頼も信用も何もかも失ってしまってから

 

友人はみないなくなった。

 

そんな友人はいない!

 

きれい事なんて言われるのはもうたくさん!

 

やめてくれ!)

 

 

ヒグラシの声が単調に聞こえていた。

 

 

沈黙が続いた。

 

 

どれだけうつむいて黙っていただろうか。

 

 

庭の「ししおどし」から水が流れて、「コン」という音が響いた。

 

 

しばらく穏やかに庭を眺めていた住職さんは

 

静かに口を開いた。

 

 

「その人はね、

 

きみ自身だよ。

 

 

 

ふるさとはね、

 

きみの心にちゃんとあるんだよ。

 

 

 

故郷で待っている

 

その人に会ってあげてくれないかな?

 

 

 

しかめっ面のまんまでいいから

 

そのまんまの顔でいいから

 

 

ただいまって言葉が出なかったら

 

何の言葉もいらないから

 

 

会ってあげてくれないかな?

 

それだけでわかるから・・・・」

 

 

 

縁側の外からは

 

ヒグラシの声と

 

桜の葉っぱが夕風に揺れる音だけ聞こえてきた。

 

 

私はまだうつむいたまま沈黙していた。

 

 

(きれい事を言うのはよしてくれ!)

 

 

長い沈黙がそっと破られた

 

次の言葉で・・・

 

 

 

 

「その人はね

 

 

 

長い旅の終わりにつかれたきみの手を

 

 

そっと

 

しずかに

 

握ってくれるだろう。

 

 

 

言葉なんて、  いらないよ。」

 

 

 

 

その時、私の目から

 

こらえていた涙がわっと流れた。

 

これまで

 

仮面をかぶったように無表情だった私が

 

ついに

 

泣き崩れて

 

鼻水だらけになって

 

縁側の床に寝そべって何時間も泣いた。

 

 

何時間も何時間も泣いた。

 

 

 

何年ぶりに食べたであろう

 

普通のドーナツと缶コーヒーが

 

本当においしかった。

 

 

皿の底まで砂糖粒をなめまわした。

 

 

 

こんなごちそう

 

生まれてはじめてだった。

 

 

 

 

こんどこそ

 

カッコいい人生

 

生きよう。

 

 

もう一度ぼくは決心する。

 

 

 

 

ぼくの人生

 

カッコ悪いことの連続だった。

 

 

子どものころ夢見てた

 

カッコいいヒーローに

 

なれなかった。

 

 

 

ここにのこったのは、

 

ぼろぼろになって、

 

人に迷惑かけまくって、

 

自分のことしか考えてなかった、

 

かっこわるい、

 

バカ者のぼくだ。

 

 

 

こんな

 

どうしようもないぼくに

 

生きる価値なんかあるものか・・・・

 

そう思って旅に出た。

 

 

長い長い旅だった。

 

 

こんどこそ

 

カッコいい人生

 

ぼくの人生を

 

ぼくがシナリオ書いて

 

ぼくで生きてみせる。

 

 

だれにもシナリオ書かせやしない。

 

 

 

そうだ、

 

かえったら

 

ぼくが読みたかった本をいっぱい読もう。

 

ぼくが書きたかった詩もいっぱい書こう。

 

ぼくが書きたかった絵をいっぱい書こう。

 

ぼくが吹きたかったオカリナ、いっぱい吹こう。

 

 

ずっとやりたかったこと

 

やろう。

 

 

 

 

ぼくの大切な友達

 

ぼく自身を

 

もっといたわってあげよう。

 

 

 

そして

 

もう一度新しい心で

 

カッコいい人生のシナリオ

 

書くんだ。

 

 

ぼくが

 

書くんだ。

「強さには二通りある」


こんにちは。

オカリナぽーるである私は

オカリナと詩の好きなロマンチストでありますが、

もう一つの顔、

それは、もののふの道を今も求道している武道家であります。

 

 

実家にある荷物を整理していたら、

 

「燃えるサムライ シゲヒロノート」

 

を発見しました。

 

なくなっていたのでもう、出てこないと思っていたのですが…

 

20代のころでしょうか、

 

私が合気道修行にビシバシっと取り組みながら、

 

気付きを得たことを

 

日記のようにつけていたノートです。

 

 

読み返してみて

 

また新たに気づきました。

 

あれから何十年もたって、

 

心が疲れて しょぼい私に

 

20代の私が諭してくれました。

 

以下

ノートから引用です。

 

「強さには二通りある

 

自らに強大な力のある強さと

 

自らが何の力のない者であることを認めながら

 

天地の愛を背中に引き受けて行く強さ

 

前者は自分ではどうしようもない強敵や

 

難問にくじけざるを得ないが、

 

後者はくじけることない。

 

 

弱くても強く、

 

うまくいかずとも立ちあがれる。

 

 

優しさには二通りある。

 

相手の中に優しさを求めている優しさは真実ではない。

 

本当の優しさは、

 

相手がどんな状態であろうとも優しい。

 

 

 

平和には二通りある。

 

平和な空気でしか憩うことのできない平安は、

 

本当の平安ではない。

 

本当の平安は、暗いところ、

 

争いや責めが絶えないところでも、

 

平安を運ぶ。

 

 

 

祈りには二通りある。

 

こいねがう祈りと

 

悔い改め立ち上がる祈り

 

二つとも、自分を無にしてただ神仏を信頼する。

 

自分を無にし、

 

両手を空にして祈る祈りは真実である。

 

しかし人は弱く、こいねがう祈りが多い。

 

悔い改め、立ちあがる祈りで

 

自らをいつも新しく美しく保ちたい。

 

 

宮本武蔵翁が、

 

神仏を尊びて頼まず

 

と書き記した。

 

武蔵翁の描かれた達磨絵図の境地になりたい。」

 

20代の私が

 

今の私を諭しているという

 

まさにタイムマシンの現象が起こりました。

 

 

時空トラベルです。

 

 

頭脳で創造し

 

心で気付き

 

それを書き記したものは

 

まさに知的所産であり

 

精神的文明です。

 

それが時を超えて生きていることがよくわかりました。

 

 

もう何十年も出てこなかったので

 

なくなったと思っていたノートが

 

おりしも

 

電子書籍を2冊出版した今になって

 

出てきたのは何かの意味があるのかもしれません。

 

 

時代は変わり、

 

いままさに、

 

知的所産、精神的所産を

 

世の中に発信できる主体が、

 

一部のマスメディアだけではなく

 

個人に解放されつつあります。

 

電子書籍出版の普及は、

 

この勢いをますます加速することでしょう。

 

 

確かに生きて、思い、考えた知的所産、精神的所産の証が

 

時代を超えて、

 

個人が文明の中で生き続ける、

 

そういう素晴らしい時代が幕開けします。

 

 

夢、

 

かなえていきましょう。

世界でたった一人しかいない、あなたに伝えたいこと「生きるってことは、愛だよ。」


子どもの力

 

こんにちは、

オカリナぽーる 星咲です。

私が生涯を通して伝えたいことがあります。

 

あなたに伝えたい、

 

世界に伝えたい、

 

100年後、500年後に、このブログの遺跡を通して出会う友に伝えたい

 

そんなことがあります。

 

きいて下さい。

 

~~~

 

世界は広い。

 

宇宙は広いです。

 

時間は長いです。

 

そんな世界に、宇宙に、

 

あなたと同じ人間は いないってことです。

 

今までずっと、

 

何千年も、

 

あなたと同じ人間は、

 

いなかった。

 

 

 

これからもずっと、

 

あなたと同じ人間は、

 

生まれません。

 

 

 

だからね、

 

あなたはね、

 

とても 大切な人なのです。

 

 

 

鏡で自分の顔を見てみましょう。

 

「俺って男前?」

 

「わたしってきれい?」

 

でもそうおもえなくても

 

世界でたった一つしかないあなたの顔

 

たったひとつしかない、

 

ナイスな顔です。

 

あなたの顔は、あなたのもの。

 

ほかのだれのものでもありません。

 

 

世界中に二つとない、あなたの顔、

 

あなたのからだ、

 

あなたは、

 

今のままで、

 

十分素敵ですよ。

 

 

 

そして

 

あなたは自分の心の中で

 

何かが起こっていると

 

「うれしい」

 

とか

 

「かなしい」

 

とか思うよね。

 

 

あなたの心で起こる出来事を

 

「きもち」が知らせてくれる。

 

それは、あなたの気持ちです。

 

あなた自身の気持ちです。

 

 

 

あなたの気持ち、

 

あなたのこころは

 

あなたのもの。

 

世界に二つとない あなただけのもの。

 

 

「こう感じてはいけない」

 

「こう感じるべきだ」ってことは

 

決してないんだよ。

 

 

魂は自由だから。

 

 

嬉しい時、

 

悲しい時、

 

腹の立つ時、

 

自分の気持ちを伝えていいんだよ。

 

誰かの気持ちじゃない、

 

あなたの気持ちなんだから。

 

 

 

あなたは世界でたった一人しかいません。

 

あなたは宇宙でたった一人しかいません。

 

そして、過去1億年前も未来1億年後も

 

あなたと同じ人はいません。

 

 

あなたのからだはあなたのもの。

 

あなたのきもちは、あなたのものです。

 

だれの支配をうけることもありません。

 

 

 

そんなあなたは 限りなく無限に大切です。

 

あなた自身を大切に生きていきましょう。

 

私も自分自身を大切に、生きていきます。

 

生きるってこと、

 

あなたが今ここにいるってこと、

 

それは

 

何にも勝る愛ですよ。

 

生きるってことは、愛だよ。

 

~~~

 

わたしは、

 

このメッセージを生涯かけて伝えていきます。

 

メルマガで、

 

ブログで、

 

オカリナで、

 

絵で、

 

権利擁護活動で、

 

書籍で、

 

 

形を変えて、姿を変えて、

 

ありとあらゆる声を出して

 

伝えていこうと思います。

 

 

広い世界と、長い時間軸が、「生きる愛」で充満するまで

 

私は満足することはないでしょう。

 

 

詳しいこと、

 

具体的なことを

 

メルマガで配信していきたいです。

 

もし

 

ご共感いただけるなら

 

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これからも

 

よろしくお願いします。

 

 

 

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いつも、なるべく明るく、穏やかでいようよ


こんにちは、

オカリナぽーるです。

 

本日は

先日私が気付いた、

とても大切なことをシェアしたいと思います。

 

あなたは

ご家族の病気や、

高齢のご両親の介護、

子育てなどで、

悩んでおられるかもしれません。

もしかしたら、

ご自身、病気や心の疲れなどで

つらい日々を送っておられるかもしれません。

 

私も悩んできた中で

やっと気づいたことがあり、

これは

自分の中だけにとどめておかず

分かち合うことで、

もしかしたらあなたが楽になるかもしれないと思いました。

 

いっぽう、

あなたは

まだ若くお元気で、

何の悩みもないかもしれません。

 

しかし、

今悩みの渦中にある私が

私なりに気付いたことを

今のうちに読んでおくことは、

必ず通る人生の中で、

きっと有益だと思います。

 

~~~~

 

こんな気付きです(^v^)

↓↓↓

 

家内が長いこと心身の病に倒れて

かなりの年数がたちます。

 

そんななかで、

私は何をしてきたのだろうか、

ふり返りました。

 

これまでの私のことをふり返って見ると

反省すべき気付きが多いのです。

 

 

これまで私は

あまりに長い病気のなかで、

ちぐはぐなことをしてしまったり、

良かれと思ってしたことで

かえって家内につらい思いをさせてしまうと、

自分自身を責めさいなみ、

また、

これだけ頑張っているのになぜ改善されないのか

なぜ・・・

と表情が暗くなることが多くありました。

 

 

そばで眉間にしわを寄せている私の顔を見て、

家内も本当につらかったと思います。

 

それで

最近こんなことに気付いたのです!

 

今まで私は、家内のこころを見ていたか?

ありのままの家内の、ありのままを見ていたか?

 

私が見ていたのは、家内の症状であり、

それに対する不安であり、

どうしようかという戸惑いではなかったか。

 

家内の心が弱っている時、

その心に寄り添っているのではなく、

その弱った心を何とかできないかと模索し

心配ばかりしている自分の姿があったのではないか。

 

そこに暖かさがあったか?

 

そう気づきました。

 

 

例えば、

私も長いこと入院したことがありますが、

医療・福祉関係の人がよく陥りがちな落とし穴を、

患者なりに見抜いていました。

 

医療従事者や福祉従事者が

よく陥る心理的状況に、

その人の真実像を見ようとせず、

症状ばかりに目が行ってしまうということがあります。

その結果、その人のマイナス面や、

症状管理面ばかりが強調され、

その人そのものをいつしか見過ごしてしまう・・・・。

 

医療や福祉の職員の心に余裕がないと、

ともすると

入院しているその人を

「患者」としての見方しかできなくなってしまい、

その人のひょうきんさや、プラス面、素敵な面を見過ごしてしまう。

 

けっきょく、入院している側からすれば、

入院中は、いつも管理されていると感じてしまう。

心の中では、

本当の私はこんなじゃないと叫んでいる。

 

医療や福祉に従事する人は

こういう状況にならないように

いつも自分をチェックする必要がある。

 

そういうことを知っているのに、

 

そんな状況が家庭でも、

家族によっておこされていたのなら、

病気で苦しんでいる本人は辛いよね。

 

だから私は最近、

自分自身にこう、言い聞かせています。

 

「もっと家内に寄り添おうよ。

 

一緒に時間を過ごそうよ。

 

一緒に食べた食事がおいしかったら一緒に喜んで、

しんどかったら一緒にゆっくり過ごそうよ。

 

一緒に時間を分かち合おうよ。

 

一期一会。

一緒に分かち合う今という時間は

二度とないんだよ。

 

いっしょに、少しの喜びでも分かち合える、

そんな時間を積み重ねて行くことが、一番の薬だ。

 

薬を飲めばいい、

高価な健康食品を飲めばいい、

優れた医療や福祉サービスを利用すればいい、

そんなものではないよ、

家族のきずなってのはね。

 

回復が遅いと焦る気持ちはよくわかるけど、

遅くても一進一退があっても、

家族が焦らず、

いつも穏やかに、

優しく接して一緒に時を過ごせる

そんな安心が一番必要なのじゃないかな?

 

そして

自分自身も安心が必要だよ。

 

自分自身の保養も必要だよ。

 

自分を可愛がろうよ。

 

おいしいものを食べて

面白いマンガを読んで

大好きなケーキとアイスクリームを食べて

 

楽しくいようよ。

 

ぼく自身が楽しくてリラックスしていたら

家庭も明るくなるじゃないか。

 

無理に楽しむ必要はないけれど、

やりたいことはやりなよ。

 

安心できる穏やかさを、

いつの時も絶やさないようにしようや。

 

症状の変化に

右往左往しないようにしよう。

 

ここにいるのは、「病人」ではなく、

たった一人の大切な家族だよ。

 

一緒に人生を生きている家族なんだから、

いつも優しく安心をあげようよ。

 

自分を責めて苦しい顔をしていると、

家内も自分を責めてしまうよ。

 

「私のせいで苦しんでいる」と心を痛めるよ。

 

だから、自分を責めないようにしようね。

 

失敗しても

「ぼく、おりこう!」でいいんだよ。

 

失敗は失敗として、

すぐに気持ちを切り替えて、

コンスタントに穏やかでいようよ。

 

それが大切なんじゃないかな。

 

一番身近な家族が、

機嫌のいい時と

落ち込んでいる時の差が激しいと、

本人はどう過ごしたらいいかわからず、

病気の苦しみの上に

心の苦しみまで背負うことになるんだよ。

 

病気で体がつらい上に

心まで不安になるのはきついよね。

 

そういう差がないようにしようや。

 

いつも安心できる、

平安でいられる、

その安心感の積み重ねが必要だよ。」

 

こう私は自分自身に毎日言い聞かせています。

 

そのおかげか

最近、

家内とニンテンドーのゲームに

はまることができるようになりました。

 

まだ少し元気なころはドラクエを一緒にしていましたが、

モンスターをやっつけすぎて可哀そうになり、

症状も重くなってからは

ゲームすらできなくなっていました。

 

それが

最近では

「わがままファッション GIRLS MODE」で

ファッションコーディネートを楽しんでいます。

 

おそらく

私が明るくなったこと、

最近近くのスイーツショップで発売された

マカロンをおいしそうに食べられたことなどで、

楽しみが戻ってきたような気がします。

 

 

今後も時々、

こうした、介護や福祉のことも

シェアしていきたいと思います。

 

目指すは夢と自由への

開かれた道:

バリアフリーロードです。

 

よろしくお願いします。