長い長い旅の終わりだった。
お寺の縁側の外から
ヒグラシの鳴く声がやさしくこだましていた。
その住職さんは、私に穏やかに語ってくれた。
「長い旅だったね。
本当に疲れて、ぼろぼろになったね。
でも
ふるさとには
きみを待ってくれている人がいるから
笑顔で
「ただいまっ」て、
きみの顔を見せてあげてくれないかな?
きみを待ってくれている人のために
体の健康も
心の健康も
大切にしてほしいんだよ。」
縁側の外からヒグラシが鳴く声と
夕風に木の葉が揺れる音が柔らかに聞こえていた。
(ぼくには
ふるさとなんかなくなった。
待ってくれている人は一人もいない。
独りぼっちなのに
そんなこと言われるのはつらいと思った。
笑顔なんてできない
元気になんてなれない。
しんどいと思った。)
住職さんは、しばらくの沈黙を楽しんでいるかのように
穏やかに夕空を見上げていたが
やがて静かに話を続けた。
「ここまで私が言ったところで
きみは本当につらいと感じているかもしれないね。
たぶん
待ってくれている人なんか
一人もいないと感じているんだろう?
それでも
体も
心も大切にして
ただいまって言ってほしいんだよ。
笑顔ができないのなら
そのままでいいから
きみの顔を見せてあげてほしいんだよ。
絶対になくならないふるさとに
どんなことがあってもきみから離れない友人が
きみを絶対に裏切らない友人が
きみが知らない間も
ずっときみのことを待ってくれているから
その人のために
帰ってあげてほしいんだ。
そのひとを大切にしてあげてほしいんだ。
そのひとは
きみが笑顔じゃなくても
どんな姿でいても
きみが帰ってきてくれるのを
待っているから。」
縁側の外から
ヒグラシの鳴く声が聞こえていた。
私は沈黙したままうつむいていた。
心の中でこう叫びながら…
(だれなんだ!
そんな友人はいやしない!
ぼくが全てを失って
信頼も信用も何もかも失ってしまってから
友人はみないなくなった。
そんな友人はいない!
きれい事なんて言われるのはもうたくさん!
やめてくれ!)
ヒグラシの声が単調に聞こえていた。
沈黙が続いた。
どれだけうつむいて黙っていただろうか。
庭の「ししおどし」から水が流れて、「コン」という音が響いた。
しばらく穏やかに庭を眺めていた住職さんは
静かに口を開いた。
「その人はね、
きみ自身だよ。
ふるさとはね、
きみの心にちゃんとあるんだよ。
故郷で待っている
その人に会ってあげてくれないかな?
しかめっ面のまんまでいいから
そのまんまの顔でいいから
ただいまって言葉が出なかったら
何の言葉もいらないから
会ってあげてくれないかな?
それだけでわかるから・・・・」
縁側の外からは
ヒグラシの声と
桜の葉っぱが夕風に揺れる音だけ聞こえてきた。
私はまだうつむいたまま沈黙していた。
(きれい事を言うのはよしてくれ!)
長い沈黙がそっと破られた
次の言葉で・・・
「その人はね
長い旅の終わりにつかれたきみの手を
そっと
しずかに
握ってくれるだろう。
言葉なんて、 いらないよ。」
その時、私の目から
こらえていた涙がわっと流れた。
これまで
仮面をかぶったように無表情だった私が
ついに
泣き崩れて
鼻水だらけになって
縁側の床に寝そべって何時間も泣いた。
何時間も何時間も泣いた。
何年ぶりに食べたであろう
普通のドーナツと缶コーヒーが
本当においしかった。
皿の底まで砂糖粒をなめまわした。
こんなごちそう
生まれてはじめてだった。
こんどこそ
カッコいい人生
生きよう。
もう一度ぼくは決心する。
ぼくの人生
カッコ悪いことの連続だった。
子どものころ夢見てた
カッコいいヒーローに
なれなかった。
ここにのこったのは、
ぼろぼろになって、
人に迷惑かけまくって、
自分のことしか考えてなかった、
かっこわるい、
バカ者のぼくだ。
こんな
どうしようもないぼくに
生きる価値なんかあるものか・・・・
そう思って旅に出た。
長い長い旅だった。
こんどこそ
カッコいい人生
ぼくの人生を
ぼくがシナリオ書いて
ぼくで生きてみせる。
だれにもシナリオ書かせやしない。
そうだ、
かえったら
ぼくが読みたかった本をいっぱい読もう。
ぼくが書きたかった詩もいっぱい書こう。
ぼくが書きたかった絵をいっぱい書こう。
ぼくが吹きたかったオカリナ、いっぱい吹こう。
ずっとやりたかったこと
やろう。
ぼくの大切な友達
ぼく自身を
もっといたわってあげよう。
そして
もう一度新しい心で
カッコいい人生のシナリオ
書くんだ。
ぼくが
書くんだ。