父は
病弱ながらも
74歳まで生きました。
末期には
体がほとんど動かせなくなり、
しゃべることすらできなくなりました。
父の病気が悪化した当時
私はホームヘルパーとして
千葉のデイサービス事業所の責任者をしていました。
しかし、父を悔いなく介護しようと決め、
千葉を去って郷里に帰ることにしました。
帰ったとき、父は既に呼吸器をつけ、
話すことも動くこともできない状態でした。
父の手を握った時、父の目に涙が光りました。
父は、元気な頃よく言っていました。
「たとえ全ての財や心身の自由を失い、
知能を全て失っても、
決して失うことのないものがある。
それは、主を信じる心、
神を敬愛する心だ。
いいか、
これだけはどんな時でも失われることはない。
決して忘れるな。」
と。
父は病床にあって、そのことを自分で守り抜いたことを
私は見ています。
合掌する手が動かなくても、
1センチ手を動かして心で合掌していました。