こんにちは
オカリナぽーるです。
このブログを始めるより前に私は
フェイスブックで活動をしており、
ここでの読者の方々のなかにも、
昨年フェイスブックにご訪問くださり
ご協力くださった方もおられると思いますので、
この場を借りてお知らせとお礼を申し上げるべく
筆をとらせていただきました。
昨年より、
私の住む京都府に在住の
心臓病のひろき君を
何とか救えないかと思い、
「ひろき君を救う会」の募金活動に
ご協力を呼び掛けており、
私のフェイスブックを訪問してくださった方のなかからも
ご賛同いただき、募金や祈りをしてくださった方がおられるので
この場をお借りしてお知らせいたします。
昨年より
フェイスブックを通じて募金を呼び掛けておりました
京都府相楽郡に在住の永田ひろき君を救う会、
多くの方にご賛同いただき、
たくさんの募金を「救う会」にいただきましたこと
ほんとうに、
心からお礼申し上げます。
ひろきくんは
重い心臓病を患う中、
一刻も早い心臓移植が必要で
保険が適用もされないという困難の中、
多くの皆さんの募金が集まり、
アメリカで早期に心臓移植がかないました。
フェイスブックでの呼びかけに答えてくださり、
募金してくださった方がたくさんいらっしゃり、
感謝につきません。
手術は成功しました。
ただ、
申し上げにくいことなのですが
ひろきくんは
去る4月23日、
入院先のコロンビア大学病院で
天国に召されていきました。
お知らせがかなり後になってしまったのですが、
ひろき君を見守ってきた人々は
ネットを通じて非常に広がり
たくさんになっていたので
この訃報をあまり早くお伝えすると、
口コミが口コミを呼んで
ご両親が困惑されるのではないかと思い、
この時期にお知らせいたしました。
ひろき君を救う会に集まった募金の一部は
同じく心臓病を患う
るいちゃんを救う会に無事譲渡されました。
お志をもって募金くださった方々の気持ちは
いのちのリレーになってしっかり引き継がれています。
手術が成功したのに
いのちが召されるのはなぜか
残念に思われる方は少なくないと思います。
臓器移植手術や
白血病の骨髄移植手術は
肉体に大きな負担をかけます。
しかも
日本人ではなく外国の人の臓器となると
拒否反応によるGVHDも激しいでしょう。
日本の国で、
バンク制度が社会的に仕組化され
移植手術が保険適用で実現すべき課題が浮き彫りになりました。
医学的にはいろいろ言いたいこと、山ほどあるのですが
ひとつ、
確かに言えること
それは
ひろきくんは
死んだのではない。
生きたのだ。
小さな体で
いのちいっぱい
いのちいっぱい
いきて
いきて
いきて
いきて
生きたのだ
そう思います。
手術に成功して、1年も生きられなかったことは悲しかったでしょう。
しかしいっぽうで
手術が成功して
1年に満たない間ですが、
ひろきくんは
お父さんとお母さんと一緒に時間を過ごし、
看護婦さんや先生、ひろき君の周りの人と時間を過ごし、
笑ったり、遊んだり、時には駄々をこねたりして
一緒に時間を過ごしたと思います。
ひろき君が一緒にいてくれた時間
いっしょに
いろいろした時間
宝石よりも光る時間だと思います。
そんな時間を下さったみなさん、
ご賛同くださり募金いただいた方、
また、募金ができなくても、
祈りを運んでくださった方
時間を
ありがとうございます。
ソーシャルメディアがこんなにも強いことを
今回のことで私は気づかせていただきました。
自由にネットで稼ぎたいと思ってアフィリエイトを始めたたくさんの仲間の方々、
アフィリエイトを学ぶことによって培ったメディア力、拡散力
これが
人と人をつなげ、
いのちの絆をつなげていったということを
身をもって学びました。
ソーシャルメディアを通じての拡散の方法を教えていただき、
力強いご協力も下さりました
近藤塾長の近藤敏明さまはじめ、
たくさんのアフィリエイターの方々が、
「稼ぐ」ということだけではない、
誰かの命を救うということで動いてくださったこと、
ほんとうに心強く、涙が流れました。
ひろき君が繋いでくれたつながり、
希望、
顔の見えないネット上の人と人との協力
この体験こそが
ひろき君が私たちに残してくれた
物凄い財産です。
「救う会」のフェイスブックでも
ご両親のブログでも
この活動の軌跡は
ネット上の精神的所産としてしっかり残っています。
そして、
これから
顔の見えない日本各地、いや世界各地の人と人が
同じ志をもって助け合い
目的を果たして行く時、
この体験は必ず、
次に生かされていくと
強く感じます。
だからこそ、
ネットでの活動、
ネットでの交流、
これからも続けていき、
新しい時代にマッチしたより効果的な方法を
たえず研究し、
教え、深め合っていくことができたらと思います。
人のいのちの行先がどこなのかという見解は、
思想や宗教など人それぞれ違うと思いますが
同じこと、
それは、
今、生きている その人を
守ること。
何教でも何主義でも何派でも一緒だと思います。
そしてもう一つ同じこと。
それは
故人の生き抜いたいのちが
今生きている私たちの中に生きていることです。
今いる私たちの中にそれが見えるはずです。
そして私は、
個人的に思うのですが
ひろきくんは
もう
苦しい体から解放され
自由な天使の羽をつけて
実際に生きて
いのちを楽しみ続けていると信じています。
真実に生き抜いたいのちの先に
永遠のいのちが
永遠のいのちが
気休めや宗教伝説ではなく
実際にあるということを
私は固く信じています。