「おもしろい」を創る思考とは~知的エンタテイメントのすすめ


先日、私が関わっている児童福祉施設に

ピエロさんがやってきました。

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いろいろな福祉施設などを訪問して楽しみを届ける

NPO法人のイベントで、

長い夏休み、家庭にも帰れずに

施設で規則正しい生活に頑張ってきた子どもたちにとって

とても楽しく、面白い一日でした。

 

いつも頑張っている子どもたちの顔が

満面の笑顔になり、

ピエロさんに声援を送ったり、

演技中に前までトコトコと進んで、

ピエロさんにほおずりする子供など

みんなの楽しそうな様子がとても印象的でした。

 

楽しみを届ける、面白さを届ける、夢を届けるということが

どれだけ貴重で大切かということを

ひしひしと感じました。

 

それとともに

特に私が感心したのは、

 

ピエロさんたちのアクロバットショーの

面白くて無駄のない動きや流れです。

 

とてもひょうきんで

おどけていて

それでもって親しみやすく

子どもたちの心を和ませてくれるユーモアやジョークの連発。

 

ばく転や宙返り、逆立ち、ロボット歩きなど

さまざまなアクロバティックな動きを披露して

これでもか、これでもかと笑わせてくれましたが、

 

この動き、

俺にできるかな?

と考えた時、そんなのとてもできないよ!

と思いました。

 

だって、ですね、

あのアクロバットのパフォーマンス、

まさに体操選手の動きであり、

武術化の動きであり、

相当の筋力とバランス感覚、運動神経がなければ

とてもできるようなものではありません。

それに、一日二日で出来るものでなくって

何年も鍛錬に鍛錬を重ねないと

とてもできないよ・・・と思います。

 

本当に完成した、無駄のない動きの数々。

それでいて

おどけていて、ハチャメチャに動いているように見える魔法のような動きでした。

 

 

すごい!

私には、まねできません!

 

ところで、

このメルマガの読者さんの中には、

ネットでの自己表現活動や、

ネットビジネスに取り組んでおられる方がたくさんおられることと思います。

 

この記事を読んで

 

「ワァー、ピエロさん、すごいねー」

「子どもたち、きっと面白かったねー」

だけでは終わらないと思います。

 

このことから何か気づけるか?

どんな価値を得られるか?

 

それが、あなたがこの記事に期待していることだと思います。

その期待にお答えしたいので、

ネットビジネスマンとして見た気付きを少し書きます。

Clown Smiling

ピエロさんたちが披露してくれた

無駄をすべて削ぎ落とした動きの数々。

それでいて

おどけていて、ハチャメチャで、

ハプニングの連発で、

適当に動いているように見える魔法のような動きでした。

 

これと同じ動きを

武術家がアクション映画でする場合や

体操競技で選手が披露する場合は

見せ方や流れのもって行きかたが違うのでしょう。

 

もしあの動きを

ジェット・リーなどがハリウッドアクション映画で演じると、

真剣に手に汗を握って、ハードボイルドに見ることになるでしょう。

 

そして、こうしたハードボイルドものに使われているのと

まったく同じ動きであるにもかかわらず、

今日見せてもらったピエロさんは

笑えるし、楽しめるし、和めるんです。

 

見せたいもの

魅せたいものを

その場にふさわしい表現にして

その場にいる人にピッタリの、親しく届きやすい形にして

計画的に、意図的にアレンジし、

それをいっきに崩したように、「意図的でない」かのように披露する。

しかし、

その流れの中には

綿密に運ばれているシナリオがあり、

また、何かのハプニングでシナリオが崩れたとしても

その場で即興にシナリオを臨機応変に再構成できる、

たとえ即興でも、伝えたい芯を即座にいつでも再生できる「即興プログラム」が

自分の中にインストールされているから、

何がアクシデンタルに起こっても、

自分の意図している流れをその状況に応じて再構築できる。

そういう素敵なスキルを見せてもらいました。

 

 

私たちが

何かのコンテンツをネットで発信したり、

何かの記事をブログなどに書く場合に、

 

専門的でアカデミックな内容、

役立つ内容、

知識を深める内容など様々なものがあると思います

 

しかし、

その内容を、ただ、盛りだくさん発信する、

わかりやすくまとめて発信する

というだけでは、不十分ではなかろうかということを

今回パフォーマンスを見て

考えさせられました。

 

私たちは、

年齢や性別、興味のあることなど、それぞれの属性に応じて

面白いものを求めています。

 

 

コンテンツが面白いと、

どんどん引き込まれるし、

記憶に残ります。

 

あのピエロさんの演技も、子どもたちの記憶にしっかり残っています。

 

 

思い出してみると、

難しいことを、いっぱい黒板に書いて、淡々と説明する先生の授業は

たとえ内容が濃くても頭に入って来なかったですが、

 

同じ内容でも、

何か身近な事柄や流行のマンガなど例えた話を、

ジェスチャーも入れて説明してくれたり、

何の関係もないジョークを合間にとばして

それが受けないと

「サムッ!」と自分で言っている先生なんかは、

「寒いねー!」と応援したくなっちゃって、

頭に残っています。

 

 

あのピエロさんの演技は

エンタテイメントそのものです。

「子どもたちに楽しい時間と夢を届ける」という

しっかりしたコンセプトのもとに

綿密に計画された

エンタテイメントです。

 

おどけたり、

とぼけたり、

ドジをしたりして笑わせてくれますが、

こうしたパフォーマンスには

言葉には表れていない強いメッセージが

意図的に発信されています。

 

「夢を忘れないで。

明日も明後日も楽しいよ。

きっと楽しいよ。」

 

こういうメッセージが、

言葉で発せられる以上に、強烈に子どもたちの心に入ってきます。

中には言葉もわからない子供もいます。

しかし、目を輝かせて、口を嬉しそうに開けて、笑っています。

あのような、エンタテイメントにあふれるメッセージは、

幼い子供にも伝わるのですね。

 

 

だから私たちも、

何かのコンテンツをメディアで発信する場合は、

それを受ける人、読む人、視聴する人にとって

おもしろい

頭に残る

楽しめる、

 

すこし難しい言葉で言うと

そのコンテンツを見てくれる属性に合わせて

その属性の人が喜び、面白いと感じ、興味を持つテイストで、

十分インタレスト性に富むコンテンツ

 

それでいて内容は

意図的に

伝えたいこと、盛り込みたいことを

しっかり組み立てたコンテンツ

 

すなわち

「知的エンタテイメント」

として十分楽しめるようなコンテンツを

作っていけたらなあーって思った一日でした。

 

 

(なお、個人情報保護の都合上、写真画像は一般イメージであり、実際のグループとは関係ありません。)

打ち上げ花火は永遠に


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花火よ花火

 

きらめく花火

 

またたく花火

 

空にキラキラ七色花火

 

夜にぱあーっとひろがる花火

 

 

きみのひかりは

 

一瞬だけど

 

きみのひかりはとわのひかり。

 

 

 

ひかりっていうのはね

 

一度光ったらね

 

そこから何万年も何億年も

 

まっすぐまっすぐ進み続けて

 

銀河のかなたへ届くんだ。

 

 

ひかりっていうのはね

 

一度光ったらね

 

見た人の心にひかり続けて

 

いのちのリレーを始めるんだ

 

 

 

一度光ったらね

 

いつまでも生きて生きて

 

生きて進むんだよ。

 

 

ひかりよひかり

 

花火のひかり

 

きみのいのちは

 

とわに輝け!

 

Fireworks Show

 

こんにちは

 

ぽーるです。

 

 

花火。

 

いいですね。

 

缶ビールと焼き鳥持って、

 

明るいうちからいい場所を陣取って

 

花火の開始を待つ人もいて、

 

人で混雑してきたら

 

お父さんに肩車してもらって花火を見る可愛い浴衣の女の子もいて、

 

花火よりも、花火を見て喜んでいる人がおもしろいって感じる

 

今日この頃です。

 

 

十年以上前も

 

花火を見に行きました。

 

 

 

その時に一緒に見た人の笑顔も、うれしそうな声もはっきり覚えています。

 

それは私のなかで、決して消えることはありません。

 

 

花火が終わったとき、

 

ある人が「さみしいね」

 

と言いました。

 

「なぜ?」ときくと

 

「花火って一瞬じゃない。

 

華やかにぴぁかーって光って、

 

その次は何にもなくなるじゃない。

 

だから

 

どう言ったらいいのか、

 

さみしいんだよね」

 

 

でも

 

私は思いました。

 

 

花火も

 

人の人生も、

 

さみしくない。

 

 

だからこの詩を書きました。

8月6日。今日は何の日かおぼえていますか?


今日は8月6日です。

 

今日は忘れてはならない、記念日なので、

 

少し長くなりますが、記事を投稿しました。

 

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66年前の今日。

 

午前8時15分。

 

 

その時間に起こった大きな出来事の記念日です。

 

 

 

 

忘れてはならないので、

この記事を書かせていただきました。

 

 

 

 

そう、

65年前、

世界で初めて起こったことがありました。

 

世界中のどの人も経験したことのない出来事。

 

 

広島に原子爆弾が投下されたのです。

 

 

そして、何十年も、何世紀も、

 

人の心に、そして社会に傷が残ってきたのです。

 

私たちは日本人、

いや、地球人です。

 

66年前の今日のことを忘れてはなりませんし、

 

 

また、

 

その傷が癒される希望も失ってはならないと思うのです

 

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言葉では言い難い心と体と社会の傷。

 

その深い傷と付き合いながら生きて行くことがどれほどのものか、

言葉にはなりえません。

 

しかし、その傷が癒されるときが必ずある、

きれい事ではなく、必ずある、

その希望を私たちは決して失ってはならないと思うのです

 

 

もう25年以上前でしょうか。

私が広島で学んでいたころ、

 

皇后陛下の母校である

 

聖心女子大学の学長を務めておられます

 

渡辺和子先生が

 

 

平和記念講演のため、広島の平和記念大聖堂に来られた時に、

足を運び、聴きに行きました。

 

渡辺和子先生といえば、

 

昭和初期に陸軍大将ののち大臣を務められた渡辺氏のご令嬢であり、

 

軍がクーデターを起こそうとした2・26事件のときに、

青年将校たちに目の前でお父さんを殺害されたという

過酷な経験をお持ちの方です。

 

2・26事件の起こった明け方、多数の青年将校が渡辺邸に乱入し、

起きがけの渡辺大臣に56発の銃弾を浴びせて射殺しました。

 

そのとき、渡辺和子さんは5歳くらいの幼児でしたが、

お父さんが蜂の巣のように銃弾を浴びせられてむごたらしく殺されていく様子の

一部始終を目の前で目撃しました。

 

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渡辺和子先生はこう話されました。

 

「平和。

それはなんとむずかしいことなのでしょう。

 

人のこころに赦しということの本当の真実が根ざした時、

本当の平和が訪れるのでしょうね。

 

しかし、人はそれをあきらめてはなりません。

 

赦すこと、その難しさ、

しかし、赦すということの真実に本当に気づいたときの

心の平安を、心の底から感じたとき、

その人のこころに本当の平和が訪れるのだと思います。

 

私はそう信じて生きて行きます。

 

私はカトリックの洗礼を受け、

イエスが生涯をかけて教えられた「赦し」について、

理解してきたつもりでした。

 

教師としての壇上でも、

生徒さん達に、「まず人を赦しましょう」と教えてきました。

 

でもね、

それが本当に難しいことだって感じたことがありました。

 

226事件の時、

私の父が、私の目の前で何発もの銃弾を受けて、軍人たちに殺害されました。

父が殺されたことのショック、

そのあとの苦しい日々のことは今も忘れようと思っても忘れることができません。

 

戦後のことです。

ある日、私は父が眠っている墓地にお墓参りに行きました。

そのとき、

私よりも先に、

何人かの男性たちがお参りに来て下さっていて、

お花を供えて下さっていました。

 

私はその男性たちに一礼しました。

男性たちは、深々と私に頭をお下げになられました。

そしてその方々がお顔をあげられたとき、

それは見覚えのあるお顔でした。

 

忘れもしません。

私の父に何発もの銃弾を浴びせて殺害した、

あの青年将校たちの一部の方だったのです。

 

 

イエスさまが教えて下さったとおり、

私はもうその方々を赦しているんだから・・・・

その方々も、父の墓参に来て下さってるんだから・・・・

そう思うのに、

私の胸に込みあがってくる何とも言えない思い

言葉では表現しようがありません。

 

 

何とも言えない思い・・・・

 

 

(ここで渡辺先生は話が詰まり、少し沈黙がありました。)

 

 

赦すってことが本当に難しいことだと思いました。

 

 

 

しかし、その難しいことを、イエスは教えられました。

 

人にとって、どんなに難しいことであっても、必ずできることだから、

 

何年かかっても必ずできることだから・・・・

 

平和は形だけのことでも、きれい事でもありません。

 

 

しかし、どんなにどろどろの人生、

どろどろの社会にあっても

人は必ず平和を見つける。

 

私たちのこころに本当の平和が根ざすときが必ず来る。

 

私はそう信じます。」

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(これは、私が当時聞いて覚えている記憶から書いており、

正確ではありませんことをお断りします。

当時取っていたノートは、あることで全て失ってしまい、

記録が残っていません。

 

 

しかし、渡辺先生の講話のこの部分は、

今もはっきり覚えているので、記憶をたどって書きました。)

 

この講演をされて、25年以上が経過しました。

そのあいだ

私の上にもいろいろなことがありまして、

人を赦すことの難しさも、

人に赦してもらうことの難しさも、

そして自分自身を赦すことの難しさも

骨身にしみて経験いたしました。

 

25年たって、

ユーキャンから渡辺和子先生の最近のお話の録音が発売されたとき、

私は飛びつくように買いました。

 

その講話集の最終章で

渡辺先生は

人生で起こるすべてのこと、どんなに過酷なことにも、

感謝できる時が必ず来ることの確信を述べられ、

 

結びに

 

「父が殺されたこと、

それも目の前でむごたらしく殺されたこと、

そのことにも感謝できる気持ちになるまでに、

十何年も、いえ、何十年もかかりました。」

と締めくくられました。

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渡辺先生は

25年以上前に宣言された生き方を

長い歳月の中で

確証されたんだなと思いました。

 

25年前にお話を聞いていたからこそ

込みあがってくる思いがありました。

 

きっと渡辺和子先生は、

大好きなお父さんが目の前で

むごたらしく殺されていく姿に深い心の傷とショックを受け、

何年も、何十年も、

PTSD(心に傷を受けた後に現れる、非常に苦しい心理的症状)

に苦しまれたのだと思います。

 

カトリックのシスターになっておられる渡辺先生は、

頭でも心でも、自分の心に傷をつけた加害者たちを赦しておられたと思うのですが、

 

赦しと傷の症状は別です。

 

いや、カトリックのシスターであるからこそ、

「我らが人に赦すごとく」というイエスの教えとは関係なく怪物のように襲いかかる、

過去の傷、過去の生々しい情景

(PTSDの過酷な症状で「フラッシュバック」といいます。

それはそれは本当に過酷で残酷な症状です。)

に苦しめられ、

 

「イエスの教えを受けているのに、人を許せない私自身を許せない!」

そして

時には自分をなきものにしてしまいたいという気持ちと葛藤しながら、

修道生活を続けてこられたのだろうと思います。

 

シスターとして修道生活を続けつつも、

うつ病を長年患い、

専門病棟の中で自分を責め続けられた日々のことも

講話集の中にありました。

 

 

人のこころに真実の赦しが根ざすとき、

本当の平和が訪れる

 

 

渡辺和子先生のこの確信は

どろどろの修道生活の中で、

本当のものになったんだなあ・・・・

私はそう感じました。

 

しかし、

いまでも正直言って私は感じてしまうのです。

 

赦すってことは何?

生きるってことは何?

進歩するってことは何?

「いろんな重荷を持っても、人に世話をかけるばかりになっても、

人は人を支えている」っていう

いにしえの教師が語っている言葉の意味は何?

 

自分自身の上にも襲いかかってくるいろいろなことの重圧に

時として耐えられなくなり

生きるってことは何?

と問いかけてしまいます。

 

私はこれまでも

いろいろな人に「生きるってことは、愛だよ」というメッセージを

伝えてきました。

ホームヘルパー養成講座の授業でも、

生徒さん達にこのメッセージを伝えてきました。

 

そう伝えている私自身、

「生きるってことは、愛だよ」という言葉を実際に生きて実践していくことの

本当の難しさを、

現在進行形で感じます。

言うだけのきれい事ではないんだってことを。

 

自分自身をNOと思う時があり、

時としてそれが激しい時もあります。

 

しかし、自分自身も含めて、

世界にNOといわれる人は一人としていない。

 

そう、みんなYESだ。

みんなOKだ

I am OK, You are OK, and Everyone is OK.

人はすべて、ここにいること自体が素晴らしく、ありがたい。

・・・ほんとうに・・・ありがたいなあ・・・・

 

こう心の底から思うことができる時

腑に落ちる時

涙でかすむ向こうに光が見える時

 

本当に「平和」を勝ち取れると

信じています。

 

いろいろなことがあっても、

いろいろなことが続いていても、

世界は平和になるということを。

 

その希望は失うまい

そう思います。

 

「生きるってことは、愛だよ」

と人に偉そうにはとても言えない私がいます。

その言葉の本当の意味も、

まだ十分感得していない私がいます。

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しかしね、

 

何が何だかわからなくても、

自分自身に対しても、

みんなに対してもあえて伝え続けたい。

「生きるってことは、愛だよ」という言葉を。

 

大切な友人(もう亡くなられた、90代のご婦人でした)から預かったこの大切な言葉を

生涯かけても

自らが不器用に生きながらでも、

伝えて行きたい、

そう思います。

 

8月6日 平和決意の日に

星咲繁博

暑い夏。自分をいたわってあげましょう。


今日はとても蒸し暑い日で

丹後地方で気温37℃、京都市内よりも暑い日です。

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こう暑いと、何年か前、母が重病で倒れて京都市内の病院に入院したので

看病に通った日々のことを思い出します。

 

あの時もとても暑かった。

 

しかも、丹後から京都市内に通うのはとても大変でした。

それでなくても、仕事でくたくたになっているのに、

体も心も持ちませんでした。

 

そんななか、

 

「ハウスサポート」というボランティアがあることを

病院のソーシャルワーカーから教えてもらったのです。

 

遠方から付き添いなどに来る家族のために、

とても安い料金で部屋を貸してくれるボランティアです。

早速申し込んで、数か月の間、部屋を借りました。

 

部屋のなかは、最初からおしゃれな家具や家電があり、

コーヒーメーカーもあったりして、

最初からほとんど準備せずくつろげるようになっていました。

 

ボランティアの世話人さんに聞くと、

これらの家電や小物は、

先に利用していた人たちが、こんなのあったらいいねと思って、

退去の時に寄付してくれたものだそうです。

 

思いやりのリレーというのでしょうか。

確かにかゆいところに手の届くものがそろっていました。

 

 

部屋を借りて何日かしたある日

世話人さんがこう言ってくれました。

「明日お休みなんでしたら、

せっかく京都に来たんだから、京都見物したり、

自分の好きなことをしてゆっくりしていくのもいいですよ。」

 

私は、何言ってんのと思い、こう返事しました。

「世話人さん、お気持ち有難いんですけどね、

私はいっぱいいっぱいなんです。

そんな、悠長に京都見物なんて、する気にもなれませんよ。」

 

そうすると、世話人さんはこう返事しました。

「あなたがいっぱいいっぱいの顔してたら、

お母様、喜ばれるかしら?」

 

「そんなの、

私はいっぱいいっぱいの顔なんかしませんよ。

こう見えても、社会福祉の仕事をしてるんです。

母のところに行くときは、にこやかに行きますよ。」

 

「そうかしら。

お母様は、お見通しでしょうね。

お母様なんですから。」

 

こうして世話人さんと問答しているうちに、

世話人さんは、ご自分のお話をしてくださいました。

 

世話人さんは、もう10年以上前になるでしょうか、

21歳になる息子さんを病気で亡くされたのだそうです。

 

母として何でもする、この身を削ってでも、息子の命だけは助けてくださいと

仏様に祈る日々、

 

自分のことなんかすべて放ったらかして、息子さんの看病を続けていたそうです。

 

そんなある日、

息子さんは優しくこういったそうです。

 

「お母さん、ぼくは、お母さんが喜んでくれたり、幸せにしてくれることがうれしいんだよ。

 

お母さん、ぼくのために自分のことまでいい加減にしちゃあだめだよ。

 

お母さんのしたいことして、ゆっくり休んでね。」

 

それで世話人さんははっと気が付いたそうです。

 

 

息子への最高のプレゼントは

ご自分自身のゆとりと、休養と、喜びであること。

息子を大切に思うならば、

息子が大切に思っているご自分自身を、大切にすること。

 

息子さんは優しくこういわれたのち、何か月か後に帰天されたそうです。

 

 

それで、世話人さんは締めくくりに私に言われました。

 

「ご自分を大切にしてくださいね。

 

そんな余裕なんかないというのもわかりますけど、

 

自分をいたわってあげてください。

 

面白いこと、楽しいこと、自分自身のためにいっぱいしてあげてください。

 

京都にはおいしい店もたくさんありますよ。

 

さあ、明日の休みはどこに行かれますか?

 

ガイドマップ置いていきますからね。」

 

 

 

自分自身を大切にすること、

 

自分自身をいたわってあげること、

 

自分の中に豊かさをいっぱいあげて、ゆとりをいっぱいあげること、

 

 

このことは、

 

すべてにおいて大切なことだし、

まずそうすることが

「自分が何かのためになりたい」という思いの基礎になる

 

こう気づかせていただきました。

 

 

きょうは

「自分をいたわってあげよう、

自分を大切にしてあげよう」

という気付きのお話でした。

 

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突撃!石マニア!


こんにちは、オカリナぽーるです。

あなたは、石が好きですか?

 

おもしろい石、

きれいな石、

指輪やペンダントにできる石…

 

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ある二人のトップアフィリエイターの方の対談音声を聴いていた時に

面白いことに気づきました。

 

一人のトップアフィリエイターの指に、きれいな石の指輪が・・・

「今日は一個増えてますよ(笑)」と

もう一人がツッコむと

 

その方、

子どものころから石が好きだったとか…

 

石と言っても、きらきら光るきれいな石、そんな石を見つけるのが好きだった。

河原や浜辺に転がっている石でも、

きれいな石、おもしろい石を集めてはコレクションし、

廃坑のなかを探検しては、きらきら光る鉱石を見つけては、喜んでいた・・・

 

 

「暗れえなあ、おタクじゃねえか・・・」という人は、

ここまで。

この先は読まなくて結構です。

 

 

 

あ、

わたしもまた、

思い出しました。

石が好きです。

小学校のころ、遠足で、奈良県の二上山麓にある「どんづるぼう」という景勝地に行きました。

ここは、火山灰が固まった「凝灰岩」が構成する、小さなグランドキャニオンのようなところで、

景色がとても面白かったのですが、

特に面白かったのが、灰色の凝灰岩の石ころの中に

「ザクロ石」という、赤い宝石の原石が入っていることです。

 

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石ころをいっぱい拾って、家に帰って石ころを砕いて、

中から期待通りザクロ石を見つけた時は感動でした。

あれから石マニアになりまして、

おやじに頼んでもう一度「どんづるぼう」に連れて行ってもらい、

ザクロ石をいっぱいゲットしました。

 

 

大人になっていい歳になった今も、

パワーストーンの不思議な力を研究したり、

海岸を歩いては、おもしろいきれいな石、

波に洗われて勾玉のようになったガラス片などを集めて

リビングの飾りにしたりしています。

 

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石の話でした。

え、!!!

これだけ???

いえいえ

私の言いたい気付きはこれからです。

 

 

その、石マニアのトップアフィリエイターの色々な活動を見ていますと、

ふつうは見過ごしたり通り過ぎたりする出来事や事柄のなかにも

価値を見つけ出す、

そして価値を掘り起こす、

そして磨いて輝かすことがとても得意で、

それが楽しくて楽しくて仕方がないんです。

 

 

まさに

石ころの中からきれいな石を探したり、

廃坑の中から輝くものを掘ったりしていた少年時代のように。

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気づく力の大切さ、

発見する力の大切さ、

思考することの大切さ、

面白さ、、

見つけた時や、

気づいた時のワクワクする煌めき感。

 

 

普通の人は

「こんなの、しょぼいじゃないか、

こんなの何の意味もないじゃないか、」

と言って、ごみ箱に捨てるのを、

成長する人は

どんなもののなかにも

気づきを掘り起し、学びを見つけ出す。

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ノウハウを集めては、「役に立たない」とか「再現性がない」と言って捨ててしまう「ノウハウコレクター」と、

同じノウハウの中から、役に立たない理由、再現性のない理由、何が欠けているのかなどに気づき、

いろいろな点と点を集めてステキな価値を創造する「学びと気づきの創造者」とが

全く違うことに気づきました。

 

 

一つでは何の価値もない「点」からも、

全く異なる「点」を見つけて、

それをつなげていくと、大きな価値に気づくのですよね!

 

何かないか、何かないか と いつも感覚を研ぎ澄ます。

 

 

また、

本当に成長する人は、

自分の耳に痛いこと

つらいことや苦しいこと

自分にとって受け入れがたいほどの出来事など、

これらの中からも

自分が向上し、自分が成長するアイテムを見つけ出すのではないか、

 

ひどいことが起こって、

ひどかった、つらかっただけで終わらせてなるものか。

そういう気付きをいただきました。

 

 

例えば、先ほどの例では、

誰も入って行かない見捨てられた廃坑の中から宝物を掘ってくる、

灰色のごつごつした凝灰岩の中からザクロ石を見つける、

ということですが、

 

栗を見てみましょう。

栗はちくちく痛いイガの中に包まれていますが、

この痛いイガの中に、おいしい栗の実があります。

 

だから

 

すべてのこと、一切のことのなかに

何かに気づき、向上し、

受け入れがたい事柄に中にも感謝する境地を悟ることができれば、

さらに飛躍できるのではないかと思います。

 

 

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