暑い夏。自分をいたわってあげましょう。


今日はとても蒸し暑い日で

丹後地方で気温37℃、京都市内よりも暑い日です。

byodoin

こう暑いと、何年か前、母が重病で倒れて京都市内の病院に入院したので

看病に通った日々のことを思い出します。

 

あの時もとても暑かった。

 

しかも、丹後から京都市内に通うのはとても大変でした。

それでなくても、仕事でくたくたになっているのに、

体も心も持ちませんでした。

 

そんななか、

 

「ハウスサポート」というボランティアがあることを

病院のソーシャルワーカーから教えてもらったのです。

 

遠方から付き添いなどに来る家族のために、

とても安い料金で部屋を貸してくれるボランティアです。

早速申し込んで、数か月の間、部屋を借りました。

 

部屋のなかは、最初からおしゃれな家具や家電があり、

コーヒーメーカーもあったりして、

最初からほとんど準備せずくつろげるようになっていました。

 

ボランティアの世話人さんに聞くと、

これらの家電や小物は、

先に利用していた人たちが、こんなのあったらいいねと思って、

退去の時に寄付してくれたものだそうです。

 

思いやりのリレーというのでしょうか。

確かにかゆいところに手の届くものがそろっていました。

 

 

部屋を借りて何日かしたある日

世話人さんがこう言ってくれました。

「明日お休みなんでしたら、

せっかく京都に来たんだから、京都見物したり、

自分の好きなことをしてゆっくりしていくのもいいですよ。」

 

私は、何言ってんのと思い、こう返事しました。

「世話人さん、お気持ち有難いんですけどね、

私はいっぱいいっぱいなんです。

そんな、悠長に京都見物なんて、する気にもなれませんよ。」

 

そうすると、世話人さんはこう返事しました。

「あなたがいっぱいいっぱいの顔してたら、

お母様、喜ばれるかしら?」

 

「そんなの、

私はいっぱいいっぱいの顔なんかしませんよ。

こう見えても、社会福祉の仕事をしてるんです。

母のところに行くときは、にこやかに行きますよ。」

 

「そうかしら。

お母様は、お見通しでしょうね。

お母様なんですから。」

 

こうして世話人さんと問答しているうちに、

世話人さんは、ご自分のお話をしてくださいました。

 

世話人さんは、もう10年以上前になるでしょうか、

21歳になる息子さんを病気で亡くされたのだそうです。

 

母として何でもする、この身を削ってでも、息子の命だけは助けてくださいと

仏様に祈る日々、

 

自分のことなんかすべて放ったらかして、息子さんの看病を続けていたそうです。

 

そんなある日、

息子さんは優しくこういったそうです。

 

「お母さん、ぼくは、お母さんが喜んでくれたり、幸せにしてくれることがうれしいんだよ。

 

お母さん、ぼくのために自分のことまでいい加減にしちゃあだめだよ。

 

お母さんのしたいことして、ゆっくり休んでね。」

 

それで世話人さんははっと気が付いたそうです。

 

 

息子への最高のプレゼントは

ご自分自身のゆとりと、休養と、喜びであること。

息子を大切に思うならば、

息子が大切に思っているご自分自身を、大切にすること。

 

息子さんは優しくこういわれたのち、何か月か後に帰天されたそうです。

 

 

それで、世話人さんは締めくくりに私に言われました。

 

「ご自分を大切にしてくださいね。

 

そんな余裕なんかないというのもわかりますけど、

 

自分をいたわってあげてください。

 

面白いこと、楽しいこと、自分自身のためにいっぱいしてあげてください。

 

京都にはおいしい店もたくさんありますよ。

 

さあ、明日の休みはどこに行かれますか?

 

ガイドマップ置いていきますからね。」

 

 

 

自分自身を大切にすること、

 

自分自身をいたわってあげること、

 

自分の中に豊かさをいっぱいあげて、ゆとりをいっぱいあげること、

 

 

このことは、

 

すべてにおいて大切なことだし、

まずそうすることが

「自分が何かのためになりたい」という思いの基礎になる

 

こう気づかせていただきました。

 

 

きょうは

「自分をいたわってあげよう、

自分を大切にしてあげよう」

という気付きのお話でした。

 

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オカリナがくれた、数々のエピソード


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オカリナがくれた、数々のエピソード

小学生の時に父にオカリナを買ってもらって以来、オカリナはいつも友達でした。

心が疲れた時にも嬉しい時にも、気ままにオカリナを吹いてきました。

 

オカリナと付き合って約40年になりますが、

オカリナには不思議な力があると思っています。

 

言葉がうまく話せなくても、

人と人が仲良くなれる何かがあるような気がします。

オカリナを吹いていると、

オカリナに「いいんだよ」と

言ってもらっているような気持ちになれます。

 

中高生の頃、ボランティア活動で、

敬老の日やクリスマス前後に、

みんなで歌を歌いに老人ホームをよく訪問していましたが、

オカリナ演奏もいたしますと、

みなさん喜んでくださいました。

 

オカリナが友情を結んでくれたエピソードのなかでも

忘れられない思い出があります。

 

それは、私が学生のころ、

練習航海でアレキサンドリアに入港したときの話です。

上陸後、私は現地のシスターに案内してもらって、

コプト教徒(キリスト教のなかのコプト正教)の住む地区を訪ねました。

ここで見たこと、体験したことがいまだに忘れられません。

 

当時エジプト社会でコプト教徒は少数宗派で、

貧しい暮らしをしており、

訪れたところはスラム街と呼ばれるところでした。

 

4畳ほどの小さな部屋に子どもたちを含む8人ほどが暮らしており、

雑然としたところでした。

狭い空間に大勢の家族、そしてイヌとネコとニワトリが

仲良く明るく暮らしていました。

日本では考えられない生活空間です。

言葉も通じなかったのですが、

子どもたちが部屋の上を指差しましたら、

その一角だけ美しく飾られ、

そこにはイエスキリストの額が掛けられていました。

みんなは手を合わせました。

私も一緒に手を合せました。

 

とにかく言葉が通じないのでどうしたらいいか分からず、

私はポケットからオカリナを取り出して、

日本のうたといえば…と思い「ふるさと」を吹きました。

 

そうしたら、子どもたちは歌を歌ってくれました。

言葉も全くわからない歌でしたが、

みんな目がきらきら輝き、

はつらつと歌っていました。

 

あとから、案内してくれたシスターから聞きましたが、

歌の内容は

「イエス様がいるから何も怖くない、

イエス様がいるからどんな時でも勇気が持てる」

という内容でした。

 

私もお返しに、

オカリナで「ごらんよ空の鳥」などの

フォークソングのゴスペルを何曲か吹き、

音楽で交流しました。

 

音楽はいいですね。

言葉などいりません。

音楽と笑顔と手拍子で、

お互いにうれしい気持ちになれました。

 

みんなで写真を撮ろうと思ってカメラを出したら、

みんな珍しそうに見ていました。

 

ここにはカメラはなく、

見たこともなかったそうです。

 

帰ったら写真を送るからと約束しました。

 

この体験を通じ、

私は見たこともないものを見た気になりました。

こんなに貧しくて、

「つらそうだ」と私が感じる住居街で、

みんなは「つらそう」に見えない。

 

光っている何かがありました。

 

私にもないし、日本ではなかなか出合えなかった何かが。

心が明るく豊かなのです。

みんな、生きていることに誇りを持っています。

ほんとうに

「生きるってことは、愛だよ。」というのは

まさにあの光景でした。

 

私は、もし家庭を持つならばこんな家庭を持ちたい、

持ち物がたとえ貧しくても

こんな心に富んだ家庭を持ちたいと強く思いました。

あれから何年たったでしょうか。

あの時見たものを、今も忘れられません。

 

オカリナが運んでくれたいろいろな友情、

いろいろな交流は

数知れません。

 

でもこれは

オカリナだけのことではないと思います。

 

私は、オカリナが好きだったから、オカリナが大活躍してくれました。

 

ギターが好きな人、

歌が好きな人

音楽でなくてもいい。

野球が好きな人

料理が好きな人、

 

なんでも

好きなことを好きなようにやる中で

国境も言葉も超えた何かが通じるはずです。

 

夢と自由へのバリアフリーロードのヒントが

そんなことの中にあるのかもしれませんね。