8月6日。今日は何の日かおぼえていますか?


今日は8月6日です。

 

今日は忘れてはならない、記念日なので、

 

少し長くなりますが、記事を投稿しました。

 

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66年前の今日。

 

午前8時15分。

 

 

その時間に起こった大きな出来事の記念日です。

 

 

 

 

忘れてはならないので、

この記事を書かせていただきました。

 

 

 

 

そう、

65年前、

世界で初めて起こったことがありました。

 

世界中のどの人も経験したことのない出来事。

 

 

広島に原子爆弾が投下されたのです。

 

 

そして、何十年も、何世紀も、

 

人の心に、そして社会に傷が残ってきたのです。

 

私たちは日本人、

いや、地球人です。

 

66年前の今日のことを忘れてはなりませんし、

 

 

また、

 

その傷が癒される希望も失ってはならないと思うのです

 

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言葉では言い難い心と体と社会の傷。

 

その深い傷と付き合いながら生きて行くことがどれほどのものか、

言葉にはなりえません。

 

しかし、その傷が癒されるときが必ずある、

きれい事ではなく、必ずある、

その希望を私たちは決して失ってはならないと思うのです

 

 

もう25年以上前でしょうか。

私が広島で学んでいたころ、

 

皇后陛下の母校である

 

聖心女子大学の学長を務めておられます

 

渡辺和子先生が

 

 

平和記念講演のため、広島の平和記念大聖堂に来られた時に、

足を運び、聴きに行きました。

 

渡辺和子先生といえば、

 

昭和初期に陸軍大将ののち大臣を務められた渡辺氏のご令嬢であり、

 

軍がクーデターを起こそうとした2・26事件のときに、

青年将校たちに目の前でお父さんを殺害されたという

過酷な経験をお持ちの方です。

 

2・26事件の起こった明け方、多数の青年将校が渡辺邸に乱入し、

起きがけの渡辺大臣に56発の銃弾を浴びせて射殺しました。

 

そのとき、渡辺和子さんは5歳くらいの幼児でしたが、

お父さんが蜂の巣のように銃弾を浴びせられてむごたらしく殺されていく様子の

一部始終を目の前で目撃しました。

 

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渡辺和子先生はこう話されました。

 

「平和。

それはなんとむずかしいことなのでしょう。

 

人のこころに赦しということの本当の真実が根ざした時、

本当の平和が訪れるのでしょうね。

 

しかし、人はそれをあきらめてはなりません。

 

赦すこと、その難しさ、

しかし、赦すということの真実に本当に気づいたときの

心の平安を、心の底から感じたとき、

その人のこころに本当の平和が訪れるのだと思います。

 

私はそう信じて生きて行きます。

 

私はカトリックの洗礼を受け、

イエスが生涯をかけて教えられた「赦し」について、

理解してきたつもりでした。

 

教師としての壇上でも、

生徒さん達に、「まず人を赦しましょう」と教えてきました。

 

でもね、

それが本当に難しいことだって感じたことがありました。

 

226事件の時、

私の父が、私の目の前で何発もの銃弾を受けて、軍人たちに殺害されました。

父が殺されたことのショック、

そのあとの苦しい日々のことは今も忘れようと思っても忘れることができません。

 

戦後のことです。

ある日、私は父が眠っている墓地にお墓参りに行きました。

そのとき、

私よりも先に、

何人かの男性たちがお参りに来て下さっていて、

お花を供えて下さっていました。

 

私はその男性たちに一礼しました。

男性たちは、深々と私に頭をお下げになられました。

そしてその方々がお顔をあげられたとき、

それは見覚えのあるお顔でした。

 

忘れもしません。

私の父に何発もの銃弾を浴びせて殺害した、

あの青年将校たちの一部の方だったのです。

 

 

イエスさまが教えて下さったとおり、

私はもうその方々を赦しているんだから・・・・

その方々も、父の墓参に来て下さってるんだから・・・・

そう思うのに、

私の胸に込みあがってくる何とも言えない思い

言葉では表現しようがありません。

 

 

何とも言えない思い・・・・

 

 

(ここで渡辺先生は話が詰まり、少し沈黙がありました。)

 

 

赦すってことが本当に難しいことだと思いました。

 

 

 

しかし、その難しいことを、イエスは教えられました。

 

人にとって、どんなに難しいことであっても、必ずできることだから、

 

何年かかっても必ずできることだから・・・・

 

平和は形だけのことでも、きれい事でもありません。

 

 

しかし、どんなにどろどろの人生、

どろどろの社会にあっても

人は必ず平和を見つける。

 

私たちのこころに本当の平和が根ざすときが必ず来る。

 

私はそう信じます。」

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(これは、私が当時聞いて覚えている記憶から書いており、

正確ではありませんことをお断りします。

当時取っていたノートは、あることで全て失ってしまい、

記録が残っていません。

 

 

しかし、渡辺先生の講話のこの部分は、

今もはっきり覚えているので、記憶をたどって書きました。)

 

この講演をされて、25年以上が経過しました。

そのあいだ

私の上にもいろいろなことがありまして、

人を赦すことの難しさも、

人に赦してもらうことの難しさも、

そして自分自身を赦すことの難しさも

骨身にしみて経験いたしました。

 

25年たって、

ユーキャンから渡辺和子先生の最近のお話の録音が発売されたとき、

私は飛びつくように買いました。

 

その講話集の最終章で

渡辺先生は

人生で起こるすべてのこと、どんなに過酷なことにも、

感謝できる時が必ず来ることの確信を述べられ、

 

結びに

 

「父が殺されたこと、

それも目の前でむごたらしく殺されたこと、

そのことにも感謝できる気持ちになるまでに、

十何年も、いえ、何十年もかかりました。」

と締めくくられました。

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渡辺先生は

25年以上前に宣言された生き方を

長い歳月の中で

確証されたんだなと思いました。

 

25年前にお話を聞いていたからこそ

込みあがってくる思いがありました。

 

きっと渡辺和子先生は、

大好きなお父さんが目の前で

むごたらしく殺されていく姿に深い心の傷とショックを受け、

何年も、何十年も、

PTSD(心に傷を受けた後に現れる、非常に苦しい心理的症状)

に苦しまれたのだと思います。

 

カトリックのシスターになっておられる渡辺先生は、

頭でも心でも、自分の心に傷をつけた加害者たちを赦しておられたと思うのですが、

 

赦しと傷の症状は別です。

 

いや、カトリックのシスターであるからこそ、

「我らが人に赦すごとく」というイエスの教えとは関係なく怪物のように襲いかかる、

過去の傷、過去の生々しい情景

(PTSDの過酷な症状で「フラッシュバック」といいます。

それはそれは本当に過酷で残酷な症状です。)

に苦しめられ、

 

「イエスの教えを受けているのに、人を許せない私自身を許せない!」

そして

時には自分をなきものにしてしまいたいという気持ちと葛藤しながら、

修道生活を続けてこられたのだろうと思います。

 

シスターとして修道生活を続けつつも、

うつ病を長年患い、

専門病棟の中で自分を責め続けられた日々のことも

講話集の中にありました。

 

 

人のこころに真実の赦しが根ざすとき、

本当の平和が訪れる

 

 

渡辺和子先生のこの確信は

どろどろの修道生活の中で、

本当のものになったんだなあ・・・・

私はそう感じました。

 

しかし、

いまでも正直言って私は感じてしまうのです。

 

赦すってことは何?

生きるってことは何?

進歩するってことは何?

「いろんな重荷を持っても、人に世話をかけるばかりになっても、

人は人を支えている」っていう

いにしえの教師が語っている言葉の意味は何?

 

自分自身の上にも襲いかかってくるいろいろなことの重圧に

時として耐えられなくなり

生きるってことは何?

と問いかけてしまいます。

 

私はこれまでも

いろいろな人に「生きるってことは、愛だよ」というメッセージを

伝えてきました。

ホームヘルパー養成講座の授業でも、

生徒さん達にこのメッセージを伝えてきました。

 

そう伝えている私自身、

「生きるってことは、愛だよ」という言葉を実際に生きて実践していくことの

本当の難しさを、

現在進行形で感じます。

言うだけのきれい事ではないんだってことを。

 

自分自身をNOと思う時があり、

時としてそれが激しい時もあります。

 

しかし、自分自身も含めて、

世界にNOといわれる人は一人としていない。

 

そう、みんなYESだ。

みんなOKだ

I am OK, You are OK, and Everyone is OK.

人はすべて、ここにいること自体が素晴らしく、ありがたい。

・・・ほんとうに・・・ありがたいなあ・・・・

 

こう心の底から思うことができる時

腑に落ちる時

涙でかすむ向こうに光が見える時

 

本当に「平和」を勝ち取れると

信じています。

 

いろいろなことがあっても、

いろいろなことが続いていても、

世界は平和になるということを。

 

その希望は失うまい

そう思います。

 

「生きるってことは、愛だよ」

と人に偉そうにはとても言えない私がいます。

その言葉の本当の意味も、

まだ十分感得していない私がいます。

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しかしね、

 

何が何だかわからなくても、

自分自身に対しても、

みんなに対してもあえて伝え続けたい。

「生きるってことは、愛だよ」という言葉を。

 

大切な友人(もう亡くなられた、90代のご婦人でした)から預かったこの大切な言葉を

生涯かけても

自らが不器用に生きながらでも、

伝えて行きたい、

そう思います。

 

8月6日 平和決意の日に

星咲繁博

オカリナがくれた、数々のエピソード


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オカリナがくれた、数々のエピソード

小学生の時に父にオカリナを買ってもらって以来、オカリナはいつも友達でした。

心が疲れた時にも嬉しい時にも、気ままにオカリナを吹いてきました。

 

オカリナと付き合って約40年になりますが、

オカリナには不思議な力があると思っています。

 

言葉がうまく話せなくても、

人と人が仲良くなれる何かがあるような気がします。

オカリナを吹いていると、

オカリナに「いいんだよ」と

言ってもらっているような気持ちになれます。

 

中高生の頃、ボランティア活動で、

敬老の日やクリスマス前後に、

みんなで歌を歌いに老人ホームをよく訪問していましたが、

オカリナ演奏もいたしますと、

みなさん喜んでくださいました。

 

オカリナが友情を結んでくれたエピソードのなかでも

忘れられない思い出があります。

 

それは、私が学生のころ、

練習航海でアレキサンドリアに入港したときの話です。

上陸後、私は現地のシスターに案内してもらって、

コプト教徒(キリスト教のなかのコプト正教)の住む地区を訪ねました。

ここで見たこと、体験したことがいまだに忘れられません。

 

当時エジプト社会でコプト教徒は少数宗派で、

貧しい暮らしをしており、

訪れたところはスラム街と呼ばれるところでした。

 

4畳ほどの小さな部屋に子どもたちを含む8人ほどが暮らしており、

雑然としたところでした。

狭い空間に大勢の家族、そしてイヌとネコとニワトリが

仲良く明るく暮らしていました。

日本では考えられない生活空間です。

言葉も通じなかったのですが、

子どもたちが部屋の上を指差しましたら、

その一角だけ美しく飾られ、

そこにはイエスキリストの額が掛けられていました。

みんなは手を合わせました。

私も一緒に手を合せました。

 

とにかく言葉が通じないのでどうしたらいいか分からず、

私はポケットからオカリナを取り出して、

日本のうたといえば…と思い「ふるさと」を吹きました。

 

そうしたら、子どもたちは歌を歌ってくれました。

言葉も全くわからない歌でしたが、

みんな目がきらきら輝き、

はつらつと歌っていました。

 

あとから、案内してくれたシスターから聞きましたが、

歌の内容は

「イエス様がいるから何も怖くない、

イエス様がいるからどんな時でも勇気が持てる」

という内容でした。

 

私もお返しに、

オカリナで「ごらんよ空の鳥」などの

フォークソングのゴスペルを何曲か吹き、

音楽で交流しました。

 

音楽はいいですね。

言葉などいりません。

音楽と笑顔と手拍子で、

お互いにうれしい気持ちになれました。

 

みんなで写真を撮ろうと思ってカメラを出したら、

みんな珍しそうに見ていました。

 

ここにはカメラはなく、

見たこともなかったそうです。

 

帰ったら写真を送るからと約束しました。

 

この体験を通じ、

私は見たこともないものを見た気になりました。

こんなに貧しくて、

「つらそうだ」と私が感じる住居街で、

みんなは「つらそう」に見えない。

 

光っている何かがありました。

 

私にもないし、日本ではなかなか出合えなかった何かが。

心が明るく豊かなのです。

みんな、生きていることに誇りを持っています。

ほんとうに

「生きるってことは、愛だよ。」というのは

まさにあの光景でした。

 

私は、もし家庭を持つならばこんな家庭を持ちたい、

持ち物がたとえ貧しくても

こんな心に富んだ家庭を持ちたいと強く思いました。

あれから何年たったでしょうか。

あの時見たものを、今も忘れられません。

 

オカリナが運んでくれたいろいろな友情、

いろいろな交流は

数知れません。

 

でもこれは

オカリナだけのことではないと思います。

 

私は、オカリナが好きだったから、オカリナが大活躍してくれました。

 

ギターが好きな人、

歌が好きな人

音楽でなくてもいい。

野球が好きな人

料理が好きな人、

 

なんでも

好きなことを好きなようにやる中で

国境も言葉も超えた何かが通じるはずです。

 

夢と自由へのバリアフリーロードのヒントが

そんなことの中にあるのかもしれませんね。