クリスマスには「きよしこの夜」をオカリナで


「きよしこの夜。」

 

クリスマスの歌の代表と言っていいでしょう。

 

私は毎年、クリスマスにはこの曲を真っ先にオカリナで吹きます。

 

 

この曲に歌われている物語は

 

イエスの誕生の場面です。

 

 

「きよしこの夜」のできるまで

 

「きよしこの夜」の曲は

 

もともと、ギターのための曲でした。

 

そのいわれは・・・・

 

 

時は1818年、オーストリアの聖ニコラウス教会でのことです。

 

クリスマスイブの前日に、教会のオルガンが壊れてしまったのです。

 

 

しかし、このことがハッピーアクシデントとなり、

 

「きよしこの夜」の名曲が生まれることとなりました。

 

 

「オルガンが壊れては、クリスマス曲の伴奏ができない!!!」

 

 

当時28歳だった教会の若き助祭(いわゆる神父様の補助)であるヨゼフ・モールは

 

ドイツ語の原詩「Stille Nacht」(英訳では「Silent Night」)を急きょ書き、

 

村の音楽教師でオルガン奏者のフランツ・クサーヴァー・グルーバーに

 

ギター伴奏のための作曲を依頼しました。

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当時は、オルガン演奏が伝統であり、

 

ほかの楽器は「世俗的だよ!」としかめっ面されていた固い時代です。

 

 

 

「教会のミサでギターなんて・・・」という声は当然出ておかしくありませんでした。

 

 

 

しかし、助祭のヨゼフは、グルーバーに熱く説得し、

 

グルーバーは徹夜で構想を練って、一晩で曲を書き上げ、

 

ミサが始まるわずか数時間前に曲が出来上がったと言われています。

 

 

 

つまり

 

「きよしこの夜」は、

 

ギターのための聖歌

 

~いま時でいう「フォークソング・ミサ」の曲だったんですね。

 

 

私の個人的な意見ですが

 

教会のミサや礼拝は、祈りの場ですが、

 

祈りを深めるために使う楽器に、制限はないと思うのです。

 

 

つまり、祈りが深まればいいわけで…

 

 

きっと

 

イエスがこの場にいたら、「オルガンが壊れてるなら、ギターがいいね」

 

って言われると思います。

 

 

 

 

私は、教会のミサの席でもしばしばオカリナを演奏します。

 

(ちなみに、先日は、仏教の法要の席でオカリナを演奏してきました )

 

 

このギターのための曲「きよしこの夜」も

 

オカリナに本当にマッチします。

 

 

 

これは私の演奏の動画ですが、

 

ぜひお聞きください。

 

クリスマスの旅路で生まれた 世界でたった一人のベイビー物語


クリスマスの主役は、2000年前に旅路で生まれた一人の赤ちゃんです。

名前はイエス。今日は、イエスの誕生のことを考えます。

 

 

イエスの誕生の夜

 

ある日、まだ結婚していない乙女のマリアのもとに

 

天使が現れます。

 

「マリア!

 

何とあなたは祝された方なんでしょう!

 

神はあなたと共におられます。

 

あなたのおなかの中の子どもイエスも祝福されています!」

 

現れた天使は

 

大天使ガブリエルと言います。

ふぃりぽ 受胎告知

 

マリアはその信じられないお告げに戸惑います。

 

「え?

 

わたし、

 

男の人をまだ一度も知りませんのに」

 

 

そして

 

大天使ガブリエルに、

 

「私は神のはしためです。

 

み言葉のとおりになりますように」

 

 

 

 

この不思議な運命を受け入れるのです。

 

 

そして

 

 

神の子であるイエスは、処女のままの母マリアのおなかに宿り、

 

マリアと婚約していた大工ヨセフは

 

生涯マリアとの間で純潔を守りながら、

 

イエスを育てます。

 

 

イエスが生まれたのは、

 

戸籍調査の命令が下り、

 

ユダヤの全国民が故郷の村に帰らなければならなかったので、

 

マリアとヨセフは、住んでいたナザレから、ヨセフの故郷に帰る旅に出ます。

 

 

 

ちょうど旅のころ、マリアのおなかは、大きくなっており、

 

胎内のイエスはいつ生まれてもおかしくない状況でした。

 

 

その旅の途中、

 

ベツレヘムという町に差し掛かった時に、マリアは産気づきました。

 

もう夜でしたが、ベツレヘムの宿屋はどこも満員でした。

 

ヨゼフは、必死であちこちの家に頼み込みますが、

 

ことごとく断られ、

 

やっとのことで、馬小屋に泊めてもらいます。

 

その馬小屋で、救い主イエスは生まれたのです。

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「きよしこの夜」は

 

旅の途中のベツレヘムで、イエスが生まれた喜びをほのぼのと歌い上げた歌です。

ごらんよ空の鳥


この歌聴いたことありますか?!

本日お届けするオカリナ演奏は

おそらく初めて聞かれる曲だと思います。

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世間にはヒットしていない超ニッチな曲です。

 

ニッチ過ぎて知らないという人がほとんどですけれども、

 

聴いたらきっと好きになる曲だと思います。

 

 

その曲というのは

 

「ごらんよ空の鳥」

 

です。

 

これは子供のためのゴスペルソングです。

 

空に飛ぶ小鳥や、

 

野に自然に咲く白百合、

 

空に輝く虹、

 

そんな自然の中にあふれる神様のお恵みを歌のなかでたたえています。

 

透きとおるようなメロディーです。

 

 

歌詞をご紹介しましょう。

 

(1番)

 

「ごらんよ空の鳥

 

野の白百合を

 

まきもせずつむぎもせずに

 

安らかに生きる。

 

こんなに小さないのちにでさえ

 

心をかける父がいる。

 

友よ、友よ今日も、

 

たたえて歌おう

 

すべてのものにしみとおる

 

天の父のいつくしみを。」

 

(2番)

 

「ごらんよ空の雲

 

輝く虹を

 

地に光の雨を降らせ

 

鮮やかに映える

 

どんなに悲しい悩みの日々も

 

希望を注ぐ父がいる

 

友よ、友よ今日も、

 

たたえて歌おう

 

すべてのものにしみとおる

 

天の父のいつくしみを。」

 

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この歌と出会ったときは

 

おりしも

 

新しいソプラノC管(オカリナの中でも最も高い音の出るオカリナ)

 

をゲットした直後で、

 

うれしくてそのオカリナを握りしめて寝たあくる日でした。

 

こんなタイミングに、こんな歌と出会うんだなあ…

 

感動しました。

 

 

もしかしたら、

 

オカリナが

 

「僕でこの歌を吹いてよ」と言って呼び寄せたのかもしれません。

 

 

 

このオカリナに合う曲はこれだ!!!

 

と ピンときました。

 

 

でもニッチな歌です。

 

楽譜も本屋では手に入りません。

 

教会に行って典礼聖歌集から調べました。

 

 

ここまで書くと

 

なぜニッチなのか? わかりますよね。

 

「ごらんよ空の鳥」は

 

子供のためのゴスペルソングです。

 

 

教会の日曜学校や

 

教会のピクニックがあったときなど、

 

野外でみんなで歌うときには

 

とても楽しい曲なのです。

 

 

 

教会の日曜学校に行っていた人はあまりいないと思うので

 

超ニッチな曲なのです。

 

 

でも、

 

この歌は、クリスチャンだけのスペシャルな歌にしておくには

 

あまりにももったいない

 

きれいな歌です。

 

 

 

よく考えてみましょう。

 

「きよしこの夜」は有名なクリスマスソングですが

 

クリスチャンだけの歌でしょうか?

 

みんな聴いたり歌ったりしてますよね。

 

小学校1年生で習った「いろはうた」

 

これはお釈迦様の仏教の教えを、50音で見事に詠んだ歌ですが

 

「私は仏教ではないから、知らない」なんて言いませんよね。

 

きれいなものはきれいだし、良いものは良いんですよ。

 

 

 

だから私は

 

この「ごらんよ空の鳥」

 

クリスチャンだけでこのきれいな歌を一人占めにせず

 

どんな人も、みんなが親しみを持って楽しめるようにしていきたいんです。

 

 

だから、

 

この歌をオカリナ演奏にして

 

みんなに聴いてもらうことにしました。

 

 

 

何とも言えないメロディーは

 

きっと親しみを感じると思います。

 

この歌を、多くのみんなに親しんでもらいたい、

 

そう思います。

 

 

この歌は

拙著 「生きるってことは、愛だよ。

詩とオカリナ演奏でつづる 癒しとやすらぎのことば」

http://www.amazon.co.jp/dp/B00C1EXZ8M

 

に収録しておりますので

 

よろしければチェックしてください。

 

 

曲をすぐに聴きたい方は、

こちらから動画をご覧ください。

↓↓↓

「魂は自由だから。」~オカリナ即興演奏(カッチーニのアベマリアより。)


魂は、自由だから。

・・・・

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微笑みをいつも絶やさないように、

明るく、ポジティブになりましょう

 

そいう言われても微笑むこともできないことがある。

 

泣かないで、

前に進みましょう。

 

そういわれても、こらえることができない時がある。

 

 

明るくなんかならないでいいんです。

 

何も話したくない時は、話さなくていいんです。

 

こらえられない時は、泣きまくって、騒ぎまくっていいんです。

 

魂は

 

自由です。

 

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苦しみを避けることはできないかもしれません。

 

いくら注意していても、突然襲う苦しみもあれば、

 

自分のあやまちで、苦しむ結果になったりしますよね。

 

その苦しみに圧倒され、

 

生きている意味すら分からなくなることだって

 

ありますよね。

 

 

 

わからない時は、わからないままでいい。

 

 

 

でも

 

ふと考える余裕が出てきたとき、

 

少し考えてみてほしいんです。

 

 

 

 

 

苦しみを避けることは自由にできないかもしれないけれど、

 

苦しみに対して、

 

どういう態度をとるかは、

 

どんな場合にも自由に決めることができるんですよ。

 

 

 

魂は自由だから。

 

手錠も鎖も、あなたの魂を縛ることはできない。

 

そこには、権力は一切及ばない。

 

 

これはだれもが持っている

 

生まれながらにして与えられた自由。

 

 

この自由をもって

 

賢明な選択をしていきましょう。

 

 

 

降りかかった災難、

犯してしまった過ち、

受けてしまった被害、

など・・・

 

過去の出来事は、

たとえタイムマシンが発明されても変えることはできない。

 

しかし、

たとえタイムマシンがなくても

私たちは

過去の意味を変えることができる。

 

それができるアイテムは

「魂の自由」

 

過去の意味が変われば、

おのずと未来が変わる。

 

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お届けする曲は

「カッチーニのアベマリア」からイメージを発展させて

即興で演奏した曲「魂は自由だから」です。

 

「カッチーニのアベマリア」は、多くのアベマリアと雰囲気が違います。

 

歌詞は単純です。

ただ

「アベ・マリア(ああ、マリアよ)」のみ。

 

私はこの曲の中に

自由な魂の

天を突き抜ける叫びを見つけました。

 

この曲、イタリアの作曲家

ジュリオ・カッチーニが

声楽学校の練習曲として作曲したとされていますが

実は

ソ連の作曲家がカッチーニの名を使って作曲したという説もあります。

公的な宗教芸術や活動が禁止されていたソ連で、

これだけの美しい曲を作曲しても名を出せなかった事情があるのでしょうか。

 

この曲は、

美しい旋律の中に叫びがあります。

 

その叫びに触れて私は

オカリナ演奏の収録中に何度も倒れ、

演奏が途切れては、最初から録りなおす、

そんな中でかろうじて収録をしました。

 

「魂は自由だから」とタイトルを付けた即興演奏、

こちらからご視聴ください。

↓↓↓

「魂は自由だから。」~オカリナ即興演奏(カッチーニのアベマリアより。)

 

 

 

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オカリナがくれた、数々のエピソード


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オカリナがくれた、数々のエピソード

小学生の時に父にオカリナを買ってもらって以来、オカリナはいつも友達でした。

心が疲れた時にも嬉しい時にも、気ままにオカリナを吹いてきました。

 

オカリナと付き合って約40年になりますが、

オカリナには不思議な力があると思っています。

 

言葉がうまく話せなくても、

人と人が仲良くなれる何かがあるような気がします。

オカリナを吹いていると、

オカリナに「いいんだよ」と

言ってもらっているような気持ちになれます。

 

中高生の頃、ボランティア活動で、

敬老の日やクリスマス前後に、

みんなで歌を歌いに老人ホームをよく訪問していましたが、

オカリナ演奏もいたしますと、

みなさん喜んでくださいました。

 

オカリナが友情を結んでくれたエピソードのなかでも

忘れられない思い出があります。

 

それは、私が学生のころ、

練習航海でアレキサンドリアに入港したときの話です。

上陸後、私は現地のシスターに案内してもらって、

コプト教徒(キリスト教のなかのコプト正教)の住む地区を訪ねました。

ここで見たこと、体験したことがいまだに忘れられません。

 

当時エジプト社会でコプト教徒は少数宗派で、

貧しい暮らしをしており、

訪れたところはスラム街と呼ばれるところでした。

 

4畳ほどの小さな部屋に子どもたちを含む8人ほどが暮らしており、

雑然としたところでした。

狭い空間に大勢の家族、そしてイヌとネコとニワトリが

仲良く明るく暮らしていました。

日本では考えられない生活空間です。

言葉も通じなかったのですが、

子どもたちが部屋の上を指差しましたら、

その一角だけ美しく飾られ、

そこにはイエスキリストの額が掛けられていました。

みんなは手を合わせました。

私も一緒に手を合せました。

 

とにかく言葉が通じないのでどうしたらいいか分からず、

私はポケットからオカリナを取り出して、

日本のうたといえば…と思い「ふるさと」を吹きました。

 

そうしたら、子どもたちは歌を歌ってくれました。

言葉も全くわからない歌でしたが、

みんな目がきらきら輝き、

はつらつと歌っていました。

 

あとから、案内してくれたシスターから聞きましたが、

歌の内容は

「イエス様がいるから何も怖くない、

イエス様がいるからどんな時でも勇気が持てる」

という内容でした。

 

私もお返しに、

オカリナで「ごらんよ空の鳥」などの

フォークソングのゴスペルを何曲か吹き、

音楽で交流しました。

 

音楽はいいですね。

言葉などいりません。

音楽と笑顔と手拍子で、

お互いにうれしい気持ちになれました。

 

みんなで写真を撮ろうと思ってカメラを出したら、

みんな珍しそうに見ていました。

 

ここにはカメラはなく、

見たこともなかったそうです。

 

帰ったら写真を送るからと約束しました。

 

この体験を通じ、

私は見たこともないものを見た気になりました。

こんなに貧しくて、

「つらそうだ」と私が感じる住居街で、

みんなは「つらそう」に見えない。

 

光っている何かがありました。

 

私にもないし、日本ではなかなか出合えなかった何かが。

心が明るく豊かなのです。

みんな、生きていることに誇りを持っています。

ほんとうに

「生きるってことは、愛だよ。」というのは

まさにあの光景でした。

 

私は、もし家庭を持つならばこんな家庭を持ちたい、

持ち物がたとえ貧しくても

こんな心に富んだ家庭を持ちたいと強く思いました。

あれから何年たったでしょうか。

あの時見たものを、今も忘れられません。

 

オカリナが運んでくれたいろいろな友情、

いろいろな交流は

数知れません。

 

でもこれは

オカリナだけのことではないと思います。

 

私は、オカリナが好きだったから、オカリナが大活躍してくれました。

 

ギターが好きな人、

歌が好きな人

音楽でなくてもいい。

野球が好きな人

料理が好きな人、

 

なんでも

好きなことを好きなようにやる中で

国境も言葉も超えた何かが通じるはずです。

 

夢と自由へのバリアフリーロードのヒントが

そんなことの中にあるのかもしれませんね。